1983(昭和58)年秋〜1984(昭和59)年冬 ミニ・トリップ

【 (その3)忘れがちな地元盲腸線 】

 伊吹山撮影のリバーサルフィルムに余りがあったので、気まぐれにバイト出勤前の時間を使って播但線の末端区間、通称、飾磨港線に乗りに行きました。地元でもまあ乗ることのない一日2往復の路線。でも勿体ないことをしましたね。新日鐵広畑製鉄所や飾磨港へ一日数往復貨物列車が姫路第一機関区所属のDE10型重連で走っていたのに一回も撮影に行かなかったんですから・・・。結局、運行最終日も原付に乗って飾磨港駅で最終列車を見送っただけで終わりました。



頭端式ホームであった飾磨港駅。ホームは2線分でした
キハ47-1092 大ヒメ一 522D/播但線飾磨港駅


家島群島からの通勤・通学客がフェリーから姫路へ通うのに朝は便利でした
キハ47-1092 大ヒメ一 522D/播但線飾磨港駅


なんだかんだと云いながらも結構な数の貨車がいたんですよん
キハ47-1092 大ヒメ一 522D/播但線飾磨港駅


改札口前の植え込みが綺麗に整備されていたのが印象的でした
キハ47-1092 大ヒメ一 522D/播但線飾磨港駅


果たしてこの駅が乗客で賑わったことはあったんでしょうか?
キハ35-79 大ヒメ一 522D/播但線飾磨港駅


 姫路駅では定期券で降りましたんで乗車券を手許に残すことができました。

 昔はフィルムが高額でプリントするのもお金がかかりましたんで、いきおい特急列車中心に撮影する傾向にありました(あまり今でも変わってないというツッコミがありそうですが・・)。そんな関係で地元路線といいながら飾磨港線の写真はありません。

 でも、小学校時代に手柄山の"姫路アリーナ"(NHKの朝ドラ「てるてる家族」のロケ地として有名になったことがある)でのスケートの帰りに、広畑まで歩いて帰るのに飾磨港線の線路を山陽電鉄のクロス部まで歩いたり、中学校時代に飾磨中部中学校での野球部の練習試合で、グラウンド横を轟音と共に駆けていった貨物列車など、飾磨港線の想い出はたくさんあります。


これが最終日の記念切符です

現在、廃線後は遊歩道等となった箇所もあり、そこそこ辿ることが出来ますので、みなさんも、一度、訪れてみては如何でしょうか。

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