1986年3月〜1986年8月 ホームグラウンド姫路にてpart.10 最後の地元撮影



なんかヤケくそに来るものを撮って終わろうとしてましたね
1986.05.05 クハ111-500(上) 2148(下) 大ミハ 951M/山陽本線英賀保−網干間



そんな撮り方でも今や貴重な記録になるんですね
1986.05.05 クハ111-2145(上) 497(下) 大ミハ 732M/山陽本線英賀保−網干間


このポイントも今では撮影は不可でしょうね
1986.05.05 スハネフ15-6 大ムコ 44レ あかつき2号/山陽本線英賀保−網干間


少しシャッターを押すのが遅れたようです(笑)
1986.05.05 カニ24-21 大ムコ 22レ はな/山陽本線英賀保−網干間


時間が空くので朝食を摂ってから定番箇所へ
1986.05.05 スハネフ15-16 大ムコ 42レ 明星・あかつき4号/山陽本線英賀保−網干間


日が昇ると半逆光気味になるのが玉にきずの箇所でした
1986.05.05 クハ111-2018 大ホシ 723M/山陽本線英賀保−網干間


翌春から通勤でお世話になる上郡行き117系普通
1986.05.05 クハ116-2 大ミハ 957M/山陽本線英賀保−網干間



岡山区非冷房4連×2による姫路行き普通列車
1986.05.05 クハ115-73(上) 128(下) 岡オカ 424M/山陽本線英賀保−網干間


テールサインを期待するも真っ白!
1986.05.05 カヤ21-5 熊クマ 8026レ 明星52号/山陽本線英賀保−網干間



113系は高槻区、宮原区、網干区に分けて配置されていました
1986.05.05 クハ111-254(上) 464(下) 大タツ 750T/山陽本線英賀保−網干間


こっちまで真っ白かぃ!
1986.05.05 スハフ14-10 大ムコ 8004レ 彗星52号/山陽本線英賀保−網干間


これが最後のモノクロのコマ・・・
1986.05.05 クモハ115-1505 岡オカ 426M/山陽本線英賀保−網干間


夏臨で一般運用に就いた「なにわ」
1986.08.12 EF65-1138 吹 9207レ サロンカー屋久島/山陽本線姫路駅(再掲)



こちらも同様に一般運用に就いたユーロ車
1986.08.12 (上)EF65-1005 吹 (再掲)
(下)スハフ14-36 名ナコ 8023レ 金星/山陽本線姫路駅


白地やないと思ったらライン一本消されて海坊主!
1986.08.12 ナハネフ22-26 大ミハ 8045レ あかつき51号/山陽本線姫路駅


遂に66が20系牽引するようになったかと思いました
1986.08.12 EF66-41 関 8025レ 明星52号/山陽本線姫路駅(再掲)


やっぱっり20系は3本ラインでないと!
1986.08.12 ナハネフ22-19 大ミハ 8025レ 明星52号/山陽本線姫路駅



7番線発着だと機関車側は撮影しづらい位置となるんです
1986.08.12 (上)EF65-1120 関 (再掲)
(下)スハネフ15-19 大ムコ 41レ 明星・あかつき1号/山陽本線姫路駅



手前のホームは西6番線で播但線飾磨港線専用でした
1986.08.12 (上)EF65-1109 関 (再掲)
(下)オハネフ25-26 大ムコ 3001レ 彗星/山陽本線姫路駅


これは続行の臨時夜行ハネ2両+ハザ6両でした
1986.08.12 スハネフ15-18 大ムコ 8003レ 彗星51号/山陽本線姫路駅



先日、姫路駅で撮影した編成で折り返してきました
1986.08.14 (上)EF66-41 関 (再掲)
(下)カヤ21-5 大ムコ 8026レ 明星52号/山陽本線英賀保−網干間


ハネ+ハザの編成と判るように記録したつもり・・・
1986.08.14 EF65-1129 吹 8003レ 彗星52号/山陽本線英賀保−網干間(再掲)


そしてカラーフィルム最後のコマ・・・
1986.08.17 EF65-1133 吹 8003レ 彗星52号/山陽本線英賀保−網干間(再掲)

 前回の最後に財政面以上に鉄道趣味にしんどさを感じだしたと述べましたが、それは国鉄再建法に基づくローカル線の廃止、営業基盤強化のためのネットダイヤ導入に対応するため、バリエーション豊かに改造された先頭車の全てを追い切ることは金銭面・時間面で限りなく不可能に近い、という現実に対するもどかしさ、国鉄消滅という近未来に対する虚脱感、就職浪人は別としても社会人になれば趣味よりも業務優先とならざるを得ず、撮影出来ないストレスが高まるのではないか?それに耐えきれなくなるのでは?といった漠然とした不安が入り乱れて深く悩んだものです。

 まだ若かったんですね。今考えれば、そんな深刻な問題や無かったのに。『捨てる』、『無理なものは無理と割り切る』ということが出来なかったんですね。遂に次回紹介する秋の北海道行きを最後に鉄道相手にはカメラを置くこととなりました。

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