日本語〜気になるあの言葉の語源 第4回 警視庁と交番担当:裏辺金好
トップが「本部長」ではなく「警視総監」なのか? と、読者の方から伝言板に質問を頂きました。 幸いにも知っていましたので、お答えすることにしましょう(念のため調べましたが)。ついでに、「交番」についても紹介します。
そもそも、近代の警察機構というのは1872(明治5)年、司法省に警保寮が設けられたのが起源。 ただし、今の警察の系統から言えば、1874(明治7)年に内務省に移管されて設立されたのが起源となります。で、いきなり全国に県警が設置されたわけじゃありません。最初は東京にしかありませんでした。この時、東京の警察は警視庁と名付けられたんですね。 ところがまだ各県には警察がなかったので、初期の警視庁は全国の警察事務を担当していました。 それどころか、戦争までやります。そう、西郷隆盛が反乱を起こした西南戦争(明治10年)ですね。500人ほどが参戦しています。 そして、1881(明治14)年に警察機構は警保局をトップとして、首都の警視庁(内務大臣直属)、各地方の警察本部&警察署&駐在(内務大臣指揮下)という組織に改編されることになります。で、お解りのように東京の警視庁というのは「特別」な存在として扱われ、今もその名残が残っていると言えるでしょう。 ちなみに第2次世界大戦で日本は敗北しますと、GHQによって警察機構が改変されます。 1948年に施行された警察法(旧)によって国家地方警察と自治体警察の2本立てになったんですね。しかし、GHQがグッバイすると1954年に警察法が改正され、都道府県警が設置され、その上に警察庁を置くという、まあ最初のシステムに似たものに戻ったわけで、この荒波の中を「警視庁」のネーミングが生き残ってきたと言うことになります。 ついでに、警視庁のトップが警視総監で、道府県警察のトップが本部長なのは? と言う質問も頂きましたが、おそらくこれも、明治時代に「警視庁」「警察本部」が設置された名残だと思われます。
このシステムは日本が起源だから、そう呼ばれるようになったんですけど、そもそも交番の名称って何が起源なのか、ついでなので御紹介。 そもそも、交番とは警察署の下部組織で、警官が交替で番をして、地域住民の相談にのったり、様々な事件に現場で則対応できる体制をとっているわけです。で、元々は「こちら葛飾区亀有公園前派出所」という有名な漫画に代表されるように、明治21年10月から使用されている名称である「派出所」「駐在所」が正式名称でした。 しかし、この「派出所」の起源が、明治7年に東京警視庁に設置された「交番所(特定の場所で、交代で立番する)」であったこともあり(当時は建物はなく、明治14年より建物が設置)、お巡りさんが交替で番をすることを、交番、交番と言っているうちに、すっかり定着してしまい、1994(平成7)年より、正式名称となりました。 うちの爺様も交番勤務していましたが、とにかく大変。殺人、強盗、交通事故、落とし物、急病人、迷子、喧嘩(けんか)、騒音、道案内、苦情、酔っぱらいの対応など、交番の周辺で起きる出来事は何でも担当しなければいけないという、(地域差はありますが)非常に大変な場所でもあります。 ちなみに駐在所は、原則として、一人のお巡りさんが家族と共に地域に居住し、地域の安全を守る活動を行う場所で、今も存在しています。この仕事、ただ家にいるだけに見えるので自由に感じられますが、原則として常に家にいないといけないので、かなり大変ですよ〜。
折角なら赤くして「シャア専用」でも良かったのじゃないかと思いますが(笑)、勝手な推測ですが、当時は茶色一色の電車が日本中を走っていたことを見ても解るとおり、あんまり派手な色は敬遠される傾向にあったため、他と区別するための色と言えば、黒ぐらいしか思いつかなかったんじゃないかと思われます。 参考文献&ホームページ マイクロソフトエンカルタ百科事典2004 関東管区警察局 http://www.kanto.npa.go.jp/contents/06contents/faq05.html 宮城県警ホームページ 「交番の由来」http://www.police.pref.miyagi.jp/tiikisitu/tiiki/yurai1.html 警視庁メールマガジン |