城の見方ガイド(5) 本丸とか二の丸とか城の曲輪とは?
○はじめに
城を見に行くと、上写真のように本丸、二の丸、三の丸、さらには色々な名称の曲輪(郭とも。いずれも「くるわ」と読みます)と書いてあることに気がつくと思います。さらに、本丸にあった御殿は本丸御殿、二の丸にあった御殿は二の丸御殿ということもありますね。今回は、これって一体何?という話と、どのように配置するのが通常なのか、というお話です。
まず、これって一体何?のお話。
本丸という名称にしろ、○○曲輪という名称にしろ、いずれも一定の広さを持った区画です。そして、このエリアごとに防御陣地・建造物を建てていきます。中世の山城では、小規模な曲輪を幾つも造っていき、特にどれがメインという役割はありませんでしたが、戦国時代以降は一郭を主とし、二郭以降を従とする構成が一般的となり、さらに江戸時代になると本丸を中心に、二の丸、三の丸を配置し、あとは必要に応じて補佐的な小曲輪・・・となっていきます。
ちなみに、四ノ丸という名称は存在せず、三の丸よりさらに曲輪を造った場合は、上図のように朝日丸や、一番上の図のように八幡曲輪など、特定の名称で呼ばれるのが通常。一説には四=死を連想させるものだから、と考えられています。
また、こうした曲輪やこれに伴う堀や石垣、門の位置など城全体の設計を縄張(なわばり)といいます。これは当時、縄を張って設計をしたためです。それでは、一般的にはどのような配置があるのか、見ていきましょう。
○曲輪の様々な配置〜基本編〜
こちらは梯郭式(ていかくしき)。本丸を城郭の片隅に配置し、周囲の2方向や3方向を他の曲輪で囲みます。本丸の後ろが弱くなりますので、背後に湖沼や山河、絶壁などの天然の要害がある場合に向きます。代表例として岡山城や府内城(大分市)。
こちらは連郭式(れんかくしき)。これは、本丸と二の丸を並列して並べたものです。この場合、二の丸から攻められた場合は防御力がありますが、本丸の脇や背後が露出してしまうのが難点です。代表例として、盛岡城や水戸城、松山城。
こちらは輪郭式(りんかくしき)。本丸を取り囲むように二の丸が配置され、さらに周りを別の曲輪が囲んでいきます。どの方向にも防御が厳重になりますが、築城面積は広がっていきます。平城に多く見られ、代表例は山形城や二条城、大阪城。
ちなみに亜流として円郭式というのがあります。これは、本丸の周囲に円形、または半円形に二の丸、三の丸が配置されていくものです。代表例として、田中城(静岡県藤枝市)。
さらに、幕末に建造された五稜郭(北海道)など、星形の要塞は稜堡式と分類されます。
以上が基本配置ですが、これらは江戸時代の軍学者たちによって、既存の城郭の縄張を分類した際に付けられた名称で、実際のところ「今回は輪郭式で築城するぞ!」と軍学に基づいて築城した例というのは稀だとか。また、後述するように複数の形を組み合わせた変形バージョンも色々とあります。
また、本丸を防御するための小さな曲輪(帯曲輪や腰曲輪など)を配していることもあるほか、他より独立した形で配置される出丸(でまる)や、主に虎口を防御するために、その前面に配置される馬出(うまだし)などを設けている城も多数あります。
○曲輪の様々な配置〜複合式編〜
その変形バージョンは、複合式と総称されます。これらは、梯郭式、連郭式、輪郭式を組み合わせたもので、本丸〜二の丸間の配置と、二の丸〜三の丸間の配置が別々の場合を指します。
上図は連郭式+輪郭式のパターン。大垣城(岐阜県)などが該当します。
連郭式+梯郭式。富山城(富山県)や広島城(広島県)などが該当します。
ちなみにこちらが広島城。二の丸が非常に小さいので、わかり難いかも知れませんが・・・。ちなみに現在、本丸と二の丸は現存していますが、三の丸は姿を殆ど留めていません。
梯郭式+輪郭式。松本城(長野県)などが該当します。
梯郭式+連郭式。苅谷城(愛知県)などが該当します。
輪郭式+梯郭式。高崎城(群馬県)などが該当します。
輪郭式+連郭式。新庄城(山形県)などが該当します。