城の見方ガイド(8) 城を防御せよ!−石垣の話
○主に3タイプの石垣の形
一般的にしろと言えば、堀と石垣に守られ、天守閣があって・・・というのを想像されるかと思いますが、土塁のお話で紹介したとおり、本格的に普及を開始したのは上写真の安土城が織田信長によって築城された頃から。石垣自体は、飛鳥時代の朝鮮式山城の頃から使われてはいますが、土塁を強化するために補助的に使ったのがほとんどで、天守閣や御殿を守るために、高い石垣を使ったのは安土桃山時代からといっても差し支えありません。
さて、石垣は積み方によって野面積(のづらづみ)、打込接(うちこみはぎ)、切込接(きりこみはぎ)の3つに大別できます。接(はぎ)とは石と石との接合のことで、積み石の接合部分を削って、接合部の面積を増やすことです。
まずは野面積(のづらづみ)。自然石を削るなどの加工を行わず、そのまま積む方法。表面もゴツゴツしていて、実にワイルドですね。さらに野面積の中でも、様々な大きさの石を組み合わせた場合は野面乱積(らんづみ)、ほぼ大きさのそろった石を横に積み上げた場合は野面布積(ぬのづみ)といって、細分化されます。
(上写真は仙台城)
乱積と布積は、このあと紹介する打込接、切込接にも見られる石垣の積み方ですが、布積は横方向に目地が通る、つまり横方向のラインが真っ直ぐになるのが特徴です。もちろん、こうするためには比較的形の揃った石を見つけてこないといけません。上写真の場合・・・どう見ても横方向のラインが通っていませんので、野面乱積ですね。
また、乱積のこと乱層積、布積のことを整層積ということもあります。
ちなみに穴太積みという表現がありますが、これは穴太衆(あのうしゅう)という、安土桃山時代の石垣職人の集団の技術が高かったことから、彼らの手掛けた野面積を特にそう呼ぶものです。
打込接(うちこみはぎ)は、関ヶ原の戦い以降に一般的になったもので、表面に出る石の角や面を叩いて削り、平たくすることで、石同士の接合面に隙間を減らし、それでも生じた隙間には、詰石を打ち込みながら積み上げます。
(上写真は津山城)
ちなみに野面積同様、様々な大きさの石を組み合わせたものを打込接乱積、ほぼ大きさのそろった石を横に積み上げたものを打込接布積といって、細分化されます。
切込接(きりこみはぎ)は、方形に整形した石材を密着させ、積み上げます。まさに完全密着で、江戸時代初期の元和年間以降に使われるようになりました。(上写真は仙台城)
こちらも野面積や打込接同様、様々な大きさの石を組み合わせたものを切込接乱積、ほぼ大きさのそろった石を横に積み上げたものを切込接布積といって、細分化されます。
さらに切込接の場合、六角形に加工した石を組み込んだものがあります。亀の甲羅に似ていることから、亀甲積といいます。江戸時代後期に見られ、強度は落ちるものの、デザイン性を追求した積み方です。平和な時代になったからできる方法ですね。
それから角に限定していえば、角石(隅石)に直方体に近い長石を用いて、さらに長辺と短辺を交互にに積み上げていく、算木積(さんきづみ)という石垣の積み方も多く用いられました。これによって強度を増したほか、デザイン的にも美しいですね。これは、1605(慶長10)年以降に主流になったそうです。
ほかにも細かく見れば色々ありますが、主要なものはこんな感じ。
○石垣に排水溝?
こちらは愛媛県松山市の松山城天守閣の石垣ですが、このように排水溝が設けられていることがあります。もちろん、雨を排水するためのものです。
○石垣の場所ごとの名前とは?
表面に見える石を分類すると、ざっとこんな感じになります。
天端石・・・石垣の一番上の石
間石・・・石垣の隙間を埋める石
角石・・・角に用いられる石。その隣の石を、角脇石と呼ぶことも。
根石・・・一番下の石で、大きなものが使われる。
築石・・・その他大勢の石
さらにもう一度、この石垣に登場していただきましょう。表面に見える石垣の裏側にも、さらに別の石がたくさん積まれていて、まずは表面に見える石の隙間を埋める飼石(介石)があり、その後ろには裏込石(裏石)という、飼石よりも小さな石が沢山積まれています。これによって、石垣の崩落を防ぐ仕組みになっています。