1340年、結城親朝が小峰ヶ丘に築城したのが始まり。結城氏は元々、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした時に従軍した結城朝光を祖先とする名族で、白河の結城氏は下総国の結城氏の庶流。また、当初は小峰城の北に位置する、「白川」城を拠点にしました。
結城氏は戦国時代まで領有しますが、豊臣秀吉の奥州仕置により改易。会津領に組み込まれ、蒲生氏、続いて上杉氏、再度、蒲生氏が領有した後、江戸時代初期の1627(寛永4)年に陸奥国棚倉藩(福島県東白川郡棚倉町)より丹羽長重が10万石で入り、白河藩が成立。4年の歳月をかけて、今の近世城郭である小峰城と城下町を整備しました。
丹羽氏は第2代藩主・光重のとき、陸奥国二本松藩に転封となり、その後は榊原氏、本多氏、奥平氏、結城氏、松平氏(奥平松平家、越前松平家、久松松平家)、阿部氏と次々と入れ替わります。なお、久松松平家の時代には、寛政の改革で名高い松平定信が白河藩主を務めています。
1866(慶応2)年に阿部正静が棚倉藩に転封されると、二本松藩主の丹羽家の預り地として管理することに。ところが、幕末の戊辰戦争において白河藩は、藩主がいないまま、新政府に対抗して奥羽列藩同盟に加入し抗戦。これによって奥羽列藩同盟と新政府軍の激戦が繰り広げられ、白河城は落城し焼失しました。
その後、阿部正静が藩主として復帰しますが直ぐに棚倉藩へ再転封され、廃藩置県を迎えます。その後、長らく石垣だけという状態が続いていた小峰城ですが、1991(平成3年)に天守代用の三重櫓が木造で復元されます。さらに、1994(平成6)年に三重櫓に隣接した前御門も復元され、見応えのある景観が戻りました。
(撮影&解説:裏辺金好)