新発田城・清水園〜新潟県新発田市〜
○解説
新発田に初めて城が造られた時期は不明ですが、鎌倉時代初期の武将である佐々木盛綱の傍系、新発田氏による築城であると考えられています。新発田氏は戦国時代には新発田長敦、重家兄弟のときに上杉謙信に服属。ただし新発田重家は上杉景勝のときに冷遇されたことに不満を持ち反旗を翻したものの、敗北し滅亡させられています。
現在の新発田城は1598(慶長3)年、上杉景勝が会津に移封となって豊臣秀吉配下の溝口秀勝が移封されたことに伴い築城されたもの。領内にあった上杉氏時代の色々な城の中から、「新発田川が形成した三角洲上の平城」であり、交通の便が良かったことから、新発田の地を築城場所として選んだもので、1654(承応3)年、三代藩主の宣直のときに完成しました。度重なる火災により何度も再建されますが、明治維新まで溝口氏と共に歩んできました。
現在は城郭跡の大部分が陸上自衛隊の新発田駐屯地となり、また本丸南面の石垣と水掘周辺が当時の縄張りとして残っているだけですが、本丸表門と旧二の丸隅櫓(本丸鉄砲台櫓跡に移築)が残り、さらに2004(平成16)には天守代用とされる御三階櫓と、辰巳櫓が復元、さらに近くには清水園、足軽長屋、武家屋敷(石黒家)が現存しており、見応えのある景観を形成しています。
(写真&解説:裏辺金好)
○新発田城の場所
○新発田城
新発田城復元模型
本丸表門 【国指定重要文化財】
1732(享保17)年築の脇戸付櫓門です。
辰巳櫓
本丸の南東に建つ層塔型2重2階櫓で、2014(平成16)年に復元
旧二の丸隅櫓 【国指定重要文化財】
1668(寛文8)年築の2重2階櫓で、現在は本丸の鉄砲櫓跡に建っています。
御三階櫓
2014(平成16)年に復元。元々は1679(延宝7)年に建造された、新発田城最大の櫓。金沢城などと同じく、海鼠(なまこ)壁なのが特徴です。また、屋根がT字型になっているのは全国で唯一。 鯱(しゃちほこ)も3つ載っています。
○清水園
3代藩主の溝口宣直が造営した下屋敷「清水谷御殿」を利用して、4代藩主の溝口重雄(しげかつ)が、縣宗知(あがたそうち/幕府の庭方を務めた人物)を招き、近江八景を取り入れた京風の回遊式庭園を造営したものです。○清水園の場所
清水園大門(総門)
入口にあたる大門(総門)は、新発田藩家老、さらには藩知政庁にあったといわれる茅葺きの門です。
清水園中門
京都から移築されたもので、元々は藤村庸軒(千宗旦の直弟子で、宗旦四天王の一人)が淀見の席の入口としたもの。
清水園書院 【新潟県指定文化財】
1666(寛文6)年築。80余坪の建物で、寄棟造柿葺平屋建。下屋敷の面影を今に残しています。
清水園書院 【新潟県指定文化財】
清水園庭園 【国指定名勝】
清水園茶室
郷土資料館
新発田郊外の五十公野にあった伊藤家の酒蔵を明治中期に移築したもので、清水園では米蔵として利用されました。現在は新発田藩関連資料などを収蔵、公開しています。
武家屋敷石黒家 【新発田市指定文化財】
新発田城三の丸の近くにあった石黒門三郎の居宅を移築復元したもの。七十石取りの武士の屋敷です。
○旧新発田藩足軽長屋
清水園と向かい合わせに建っています
旧新発田藩足軽長屋 【国指定重要文化財】
1842(天保13)年築の足軽長屋で、幕末まで4棟あった清水谷長屋のうちの1棟。木造茅葺き造の八軒長屋で、1つ1つが狭く、生活は大変そうです。また、全国的には極めて珍しい遺構。
旧新発田藩足軽長屋 【国指定重要文化財】