五稜郭〜北海道函館市〜
Goryokaku
五稜郭は、江戸幕府が北方防備のため、弁天台場(現在の函館どっく付近)とともに1857(安政4)年から7年がかりで築城したもので、フランスの要塞を参考に蘭学者武田斐三郎が設計し、正式には亀田役所土塁と呼ばれました。
ところが使用されたのは対外戦争ではなく、内戦でした。戊辰戦争時、榎本武揚率いる蝦夷共和国と明治新政府の激戦である箱館戦争の舞台となり、榎本らは敗北したため五稜郭は陥落。五稜郭にあった奉行所は明治5年に取り壊され、現存しているのは兵糧庫と井戸のみ。しかし、2006(平成18)年より箱館奉行所の復元工事が始まり、2010(平成22)年に再び往時の様子を取り戻します。
なお日本において、星形の要塞としては長野県にある龍岡城があるほか、榎本たちが明治政府との戦いに備え、やはり現在の函館市内に造った四稜郭というのもあります。
(撮影:裏辺金好、デューク=冬景色のみ)(撮影・解説:裏辺金好)
▼MAP
▼アクセス
函館市電 五稜郭公園前より徒歩
▼関連サイト
函館 五稜郭タワー公式サイト
○五稜郭の風景
五稜郭復元模型
五稜郭タワー内に展示されている復元模型。5つの稜堡が突き出ることで、防衛の死角を減らしています。
半月堡
城郭本体から独立した場所にあり、大手門や稜堡を守ります。当初は5つ出来る予定でしたが、完成したのは1つ。
刎ね出し(武者返し)
石垣の上から2番目をせり出すことにより、石垣を登っての進入を難しくしています。
箱館奉行所
2010(平成22)年に復元された箱館奉行所。
長斜堤
堀の外側に斜面を設けることで、五稜郭に攻めてくる敵に防御の隙を与えず、射撃の命中を容易にします。
○五稜郭の風景(冬景色)
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