越前大野城〜福井県大野市〜


○解説

 1575(天正3)年、越前一向一揆を平定した織田信長は家臣の金森長近に大野郡の3分の2を与えました。その際に標高約249mの亀山に4年の歳月をかけて築いた平山城形式の城郭が、この(越前)大野城です。長近はさらに亀山の東麓に「越前の小京都」と呼ばれる城下町を整備し、彼が飛騨一国に転封された後は長谷川秀一、青木一矩、織田秀雄が領有します。

 江戸時代に入ると、福井藩の一部となり結城秀康(松平秀康)の重臣・土屋正明が大野城主を務めますが、3万8000石という小藩並みの石高を有します。さらに1624(寛永元)年に松平直政(結城秀康の三男)が5万石で大野藩を立藩。松平家4代が続いたのち、土井利房が1682(天和2)年に4万石で入ると、以後は土井氏の城として明治維新を迎えました。

 維新後に城は石垣を残し取り壊されましたが、不明門が真乗寺山門として、鳩門の門部分が光明寺山門として現存。また、1968(昭和43)年に模擬天守閣が鉄筋コンクリートで再建されました。近年は竹田城と並んで天空の城としても観光スポットになっています。
(上写真撮影:リン)

○場所



○風景


城跡一帯は亀山公園として整備され、遊歩道が整備されています。入口から頂上までは野面積の石垣を横目に見ながら歩いておよそ15〜20分はかかります。 (撮影:Kircheis様 禁転載)

亀山公園の頂上にある模擬天守閣。本来は2重3階の大天守に2重2階の小天守に付櫓(天狗櫓)が接続する複合連結式の天守で、1775(安永4)年に焼失しています。
(撮影:Kircheis様 禁転載)

(撮影:Kircheis様 禁転載)


野面積の荒々しさをもつ石垣は風化が激しいらしく、こんな注意書きが…。(撮影:Kircheis様 禁転載)


越前の小京都と呼ばれた市街地を一望できます。 (撮影:Kircheis様 禁転載)

お馬屋池
 城の堀の一部が残ったもの。厩舎が近くにあり馬の飲用水に使われたとか。 (撮影:Kircheis様 禁転載)



藩主隠居所
 幕末の大野藩主であった土井利忠が1862(文久2)年に家督を三男である土井利恒に譲り、1868(明治元)年に死去するまで生活したと伝わる建物。
 2006(平成18)年までは柳廼社(やなぎのやしろ)の社務所として使われていましたが、2010(平成22)年に越前おおの結ステーションへ移築され、無料休憩所として使われています。(撮影:リン 以下すべて)


武家屋敷旧内山家 【国登録有形文化財】
1882(明治15)年築(※母屋/母屋と渡り廊下で接続する離れは大正時代築)。内山家は1842(天保13)年にスタートした土井利忠による藩政改革「更始の令(こうしのれい)」を支えた、家老の内山七郎右衛門良休・隆佐良隆兄弟を輩出した家です。

真乗寺山門 【大野市指定文化財】
大野城不明門を移築したもの。

光明寺山門
1828(文政11)年に大野城二の丸の鳩門として建築されたもので、1903(明治36)年に光明寺へ移築。二層部分はのち焼失して再築されています。

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