白石城〜宮城県白石市〜
○解説
伊達政宗の腹心、片倉小十郎景綱の居城として名高い白石城。源義家に従い、後三年の役で戦功を上げた苅田経元が居を構えたのが始まりとされ、鎌倉時代から戦国時代に至るまでは苅田経元の子孫である白石氏の居城で、戦国時代には伊達稙宗の重臣となります。
そして1586(天正14)年に白石宗実が、それまでの戦功を高く評価されて塩松城(福島県二本松市)へ移封され、白石城の城主は屋代景頼に交代。さらに伊達政宗が1591(天正19)年に豊臣秀吉に服属すると白石は取り上げられ、会津若松に入った蒲生氏郷の居城とし、蒲生郷成が城主となり城を整備します。
ところが蒲生氏の東北支配は長く続かず、1598(慶長3)年に宇都宮に転封され、白石は新たに会津若松城主となった上杉景勝の所領となりました。しかし、これも関が原の戦いで、白石は再び伊達政宗に攻略され。敗北した上杉氏は戦後に米沢に押し込められたことから、白石は再び伊達氏のものに。
そして最初は石川昭光、次いで1602(慶長7)年には伊達政宗が幼少のころから腹心として使えた勇将、片倉景綱が城主となり、1615(元和元)年の一国一城令でも存続を許され、明治維新まで片倉氏の居城となり、そして明治になると建物は民間に払い下げられて城は破却。
その後、益岡公園として開放されていましたが、1995(平成7)年に天守の役割を果たしていた三階櫓、大手門などが木造で復元され、往時の姿を取り戻しました。
(写真&解説:裏辺金好)
○場所
○風景
三重櫓
1823(文政6)年に再建されたものをベースに復元したもの。
三階櫓1階
三階櫓2階
三階櫓3階
俺が行かずば誰が行く 伊達の先鋒 片倉小十郎。う〜ん、格好いいですね!
東口門跡
旧東口門(二ノ丸大手二ノ門/現、東信寺山門)
白石市内で現存する旧東口門。駅からそう遠くないですので、徒歩かレンタサイクルで是非! ちなみに特徴的な窓の形は、眼象窓(げんじょうまど)と呼ばれるもの。2階で太鼓を鳴らすとき、音の通りをよくするための工夫です。
三重櫓
大手一御門・大手二御門
三階櫓より大手一御門・大手二御門
大手二御門
本丸御殿跡
白石城復元図
鐘楼と鐘
神明社 城内に建つ神社。伝承では坂上田村麻呂が807(大同2)年に創祀したものだとか。平安時代には藤原秀衡、安土桃山時代には蒲生氏郷、上杉景勝の崇敬を受け、江戸時代は片倉氏の崇敬を受け白石城の鎮守として栄えます。
現在の社殿は1935(昭和10)年に竣工したものです。
厩口門跡 すっかり神社への入り口になっていますが、かつての厩口門跡です。もちろん、名前の通り馬を出入りさせるための門。本丸を守る重要な拠点の1つです。
旧厩口門(現、延命寺山門) 白石市内の延命寺に移築されて現存する厩口門。ただし、窓の形や屋根の形は寺の雰囲気に合うように、移築のときに改造を受けています。特に屋根の形は、白石城にあったときは入母屋造りで、現在の側面がバッサリとした切妻造りでは無かったようです。
片倉家中旧小関家屋敷・表門 1730(享保15)年築。片倉家に仕えた小関家の武家屋敷です。三重櫓復元を機に、白石市に寄付され、貴重な武家屋敷の遺構を今に伝えてくれています。
片倉家中旧小関家屋敷
片倉家中旧小関家屋敷
片倉家中旧小関家屋敷