二本松城〜福島県二本松市〜


○解説

  二本松城は標高345mの通称「白旗ヶ峯」へ、奥州探題を命じられた畠山満泰によって嘉吉年間(1441〜44年)に築城されたもので、室町時代は畠山氏(二本松氏)の居城として約150年使われました。
 そして1586(天正14)年、伊達政宗の攻撃によって二本松城は落城。伊達家一門の伊達成実が城代となります。しかし、伊達政宗は豊臣秀吉に服属することになり、二本松城は会津若松城に入った蒲生氏郷が領有。これ以後、会津若松城の支城となり、次いで会津若松に入った上杉景勝、関が原の戦い後は蒲生秀行、1627(寛永4)年には加藤嘉明の与力大名である松下重綱などが領有することになります。
 転機となったのは1643(寛永20)年に白河より丹羽光重が10万7000石で入封。ここに二本松藩が誕生し、幕府の許可を得て1649(慶安2)年に新規の扱いで大々的な築城を行い、現在の形に整備しました。そして明治維新に至るまで丹羽氏10代の支配することになりますが、戊辰戦争では薩長軍と戦うことになり、城内・家中屋敷のすべてが焼きはわれ落城しました。
 それから時を経て1982(昭和57)年、二階櫓、箕輪門、多聞櫓が復元され、かつての雰囲気が再現されました。
(写真:裏辺金好)

○場所



○風景


大手門跡
駅から歩いていくと、まず大手門跡に出会います。

位置関係
この大手門から二本松城跡の中心までがかなり遠い。しかも、結構アップダウンも・・・。
せめて行きはタクシーを使ったほうが無難です。


復元された二階櫓、箕輪門、多聞櫓

二本松少年隊
戊辰戦争で新政府軍と戦い、戦死した少年たちの銅像。


復元された二階櫓、箕輪門、多聞櫓

別角度より。



洗心亭 【福島県指定重要文化財】
その由来を書くのが結構大変なので、手軽な方法でごまかします。スミマセン・・・。

洗心亭からの風景

搦手門跡
二本松城の裏手に位置する門。現在も石垣が残ります。


天守台・東櫓台(本丸)石垣

二本松城本丸跡

天守台跡

本丸からの風景
ここまで登ると、かなり高い場所に二本松城が位置していることが分ります。

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