花巻城〜岩手県花巻市〜


○解説

 花巻城は中世、稗貫氏の居城「鳥谷ヶ崎城」として誕生。豊臣秀吉が東北を支配下に置くと、南部氏の所有となり、地名を花巻と改称。南北約500m、東西約700m、総面積は約20万uを超え、北上川、豊沢川、瀬川、猿ヶ石川を利用した大きな要害でした。
 江戸時代は城代がおかれ、城下は奥州街道の宿場町として発展しています。  
 明治維新により城は破却されましたが、近年になって花巻城西御門(上写真)が復元されました。
(写真&解説:裏辺金好)

○場所



○風景


花巻城本丸
 西御門を入ったところから広がる本丸跡。

円城寺門 国指定重要文化財】
 鳥谷崎神社に残る円城寺門は、花巻城唯一の建築。


鳥谷崎神社
 円城寺門横にある鳥谷崎神社。

〇同心屋敷


同心屋敷
 1591(天象9)年、南部信直に対し一族の九戸正実が反乱を起こします。これに対し、南部家の北信愛は豊臣秀吉に救援を求めるよう進言。鳥谷ヶ崎城の守備として浅野長吉(長政)の軍勢が駐屯し、反乱鎮圧後も30名が南部家に仕えることになりました。これに伴い、鳥谷崎神社の南に官舎を与えられますが、狭くなったことから後年、この地に移転しています。
 1955(昭和30)年ごろまでは10軒近くが残っていたそうですが、いつしか取り壊され、最後に残った2軒が文化財として保護されています。


旧今川家住宅 市指定文化財】
 江戸時代末築。本屋棟に煙出し破風を設け、屋根の形状が非常に請った造りになっているのが特徴。
なお、今川氏は昭和15年頃から住むようになりました。


旧平野家住宅 【市指定文化財】
 江戸時代末築。殆ど改造の手が加えられておらず、同心屋敷として重要な建造物

かつての街並み

↑ PAGE TOP