荒砥城〜長野県千曲市〜


○解説

 室町時代から戦国時代にかけて、この地を支配した豪族「村上氏」の支族である山田氏によって築かれた山城で、冠着山(かむりきやま)支脈の城山(標高895m)山頂を本郭しています。また村上氏の本城、葛尾城の支城としての役目を持っており、村上一族にとって重要な城の1つでした。
 さて戦国時代、甲斐の武田信玄と村上義清が激しく攻防を繰り広げますが、城主の山田国政は1551(天文20)年に真田幸隆の策略により砥石城で討死し、さらに1553(天文22)年に武田信玄が村上義清の葛尾城を落城させると、荒砥城は武田方の屋代政国の領するところとなりました。
 さらに武田家が滅亡すると、当時の城主であった屋代秀正は上杉家に従いますが、徳川家康に内通したことが発覚して攻められます。屋代秀正は城に火を放ち落ち延び、荒砥城は廃城になりました。
 こうして、日本全国に数多くある小さな城跡の1つとなった荒砥城でしたが、1995(平成7)年に上山田町(現千曲市)の「ふるさと創生事業」により、城山史跡公園として整備が行われ、戦国時代の雰囲気を再現。典型的な山城の姿を知る上で非常にいい材料です。
 (写真&解説:裏辺金好)

○場所



○風景


荒砥城復元図




二の郭虎口の矢倉門


二の郭兵舎と主郭(奥)


二の郭から主郭へ


荒砥城からの眺め
奥が武田信玄が領有する甲斐国。そして左の山は葛尾城です。



二の郭全景

主郭の館(左)と兵舎(右)

普段は山麓で生活しており、このあたりに居館があったようです。

復元されてはいませんが、さらに奥まで荒砥小城、若宮入山城、証城がありました。

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