甲府城&信玄公祭り〜山梨県甲府市〜
元々甲府の地は、甲斐武田氏の根拠地として栄えた場所ですが、現在の甲府城自体は、1590(天正18)年、北条氏を滅ぼした豊臣秀吉が、関東に移封した徳川家康に対する押さえの拠点とし、義子である羽柴秀勝に築城を命じたのが始まりです。
その後は、加藤光泰、浅野長政、幸長(よしなが)父子に引き継がれて、1600(慶長5)年ごろには巨大な城を完成させました。さらに近年の調査で、大阪城に匹敵する天守閣があったことが明らかになっています(2008年12月22日、山梨県教委の調査検討委員会は出土した鯱瓦の一部より、松本城天守閣に匹敵する25メートル級の建造物があったと推測できることを発表。また、敷地面積を約18ヘクタールで、小田原城の約17ヘクタールを上回る東日本屈指の巨大な城であったことも報告。なお、現存は6ヘクタールに過ぎません)。
徳川政権下になると、徳川義直(家康の9男)、徳川忠長(秀忠の次男)、徳川綱重(家光の三男)、など、徳川家の人間が甲府の地を治め、徳川綱吉政権下では柳沢吉保が入封。彼は、甲府城の整備と街作りを行い、城は「鶴が舞うように美しい」と称され、「舞鶴城」の別名が起こりました。そして、息子の柳沢吉里が大和郡山に転封されるまで、甲府城は約20年間にわたって柳沢家の領地として整備されます。
1724(享保9)年、甲府は幕府の天領となり、甲府勤番がおかれます。そして3年後、大火で城は焼失。さらに明治以降、城は破壊されて多くの領域が保存されず失われ、市街地として開発されていきます。
近年、発掘調査が行われ、前述のように威容が判明。復元工事が急ピッチで進み、2004(平成16)年に稲荷櫓(上写真)が、2007(平成19)年に山手御門、2013(平成25)年に鉄門が復元されるなど、昔の姿が我々の前に示されつつあります。特に、かなり広範囲にわたって土塀が復元されている点は特筆されます。
ちなみに、甲府城の石垣は、穴太(あのう)積みと呼ばれる技法で構築。戦国時代の技術で、国内屈指のものだとか。自然石や粗割石を組み合わせ、ほとんど石材を加工しない状態で積み上げ、石材の隙間に、小さい石である詰石を詰め、石垣を安定させているのが特徴です。
(撮影&解説:裏辺金好)
○場所
風景
甲府城復元模型
甲府城を北側から見た模型。手前が山手御門で、背後は現在のJR中央本線が左右に横切り、さらに背後の館の模型がある場所に県庁などが建っています。甲府城で石垣が現存しているのは、写真では左半分です。
山手御門
2007(平成19)年復元。甲府城に3つあった出入り口のうちの1つで、ここから城内に入りました。しかし明治維新後、見事に鉄道路線で分断され、さらには山手御門自体が跡形もなくなっていましたが、歴史公園として見事に再生しました。ただし、JR中央線の上は歩けませんので(そりゃそうだ)、踏切か陸橋を渡らないと、本丸へ行くことは出来ません。
山手門
山手御門を形成する門の1つで、高麗門形式。
山手渡櫓門
山手御門
山手御門の裏は甲州夢小路という、明治から昭和初期にかけての甲府の町並みをイメージした商業施設に。
甲州夢小路
2013(平成25)年にオープンした商業施設です。
甲州夢小路「時の鐘」
明治初期まで200年以上にわたり、住民に時刻を知らせていた「時の鐘」を推定復元したものです。
甲州夢小路
こちらは甲府駅ホームより撮影。ちなみに、甲府駅構内もかつての甲府城内。
甲府城鍛冶曲輪(手前)・本丸(奥) 今度は甲府城の南側から。このあたりは堀が残っています。また、左手奥に見えるエジプトのオベリスクのような石柱(高さ約18.2m)は、1922(大正11)年に建てられた謝恩碑で、設計は伊藤忠太など。明治天皇が山梨県内の御料地を県民に下賜したことを感謝したものですが、今となっては何もここに建てなくても・・・。
鉄門
2013(平成25)年復元。鉄門は「くろがねもん」と読み、本丸の南西、本丸と天守曲輪(てんしゅくるわ)のさかいめにあった櫓門です。
天守台
内松陰門
「うちまつかげもん」と読みます。
稲荷曲輪
奥は一番最初の写真でも登場した稲荷櫓
鍛冶曲輪門
武徳殿
1933(昭和8)年築。甲府城二の丸に設置された施設。
甲府城天守閣推定復元模型
商店街に飾られている甲府城天守閣を推定した模型。果たして詳細な資料が見つかる日は来るのでしょうか。
山梨県庁旧本庁舎
1930(昭和5)年築。このエリアもかつての甲府城の一部。
山梨県議会議事堂
1928(昭和3)年築。
旧山梨県立図書館(現存せず)
1930(昭和5)年築。
信玄公祭り
武田信玄の命日である4月12日を中心として、毎年盛大に開催されるイベント。出演する人の多いこと多いこと・・・。
信玄公祭り まずは甲府城に全軍が集結して、迫力ある出陣式が行われます・・・が、武田信玄と甲府城は何の関係も無いですので、勘違いされないよう。
信玄公祭り 武田二十四将が甲府駅前から次々とパレード。壮大な規模で、参加人数も非常に多い。まさに戦国時代にタイムスリップした感じ・・・ではありますが、旗指物に協賛企業のマークが描かれるのはやむをえないところでしょうか。
信玄公祭り
信玄公祭り
信玄公祭り
信玄公祭り
信玄公祭り
信玄公祭り(山本勘助)
信玄公祭り(武田信玄)