館山城は、安房国の大名であった里見義頼が築城を計画し、息子の里見義康が1590(天正18)年に完成させたもの。義康の子である里見忠義が、1614(慶長19)年に江戸幕府により大久保忠隣事件への連座の名目により改易され、伯耆国倉吉4000石に移封させられるまで使用されました。
1982(昭和57)年、城跡に犬山城を模した模擬天守が建てられ、館山市立博物館分館になっており、内部には「南総里見八犬伝」に関する資料が展示されています。また、城跡を中心とした城山公園は桜の名所としても知られています。
公園内には、里見家八遺臣の墓があります。これは1622(元和8年)に忠義が倉吉で死去した時、殉死した8人の側近を供養したもので、江戸時代後期に、曲亭馬琴(滝沢馬琴)の小説、『南総里見八犬伝』の八犬士のモデルになったと言われています。
(写真&解説:下総ぎつね様 禁転載)