名島城は戦国時代の天文年間(1532〜55年)に、立花城主の立花鑑載が支城として築造したのが始まりで、豊臣秀吉が九州へ進出すると、筑前国を与えられた毛利一族の小早川隆景が1586(天正16)年より本拠地として使用。三方を海に囲まれた要害とし、北に本丸、その南に二の丸、三の丸を配した構造でした。
関が原の戦い後の論功行賞で黒田長政が筑前国に入国すると、城下町の発展性を考えて福崎の地へ福岡城を築城。1607(慶長12)年に名島城は廃城となり、名島城の城門や石垣などは福岡城などへ移築されました。
現在では宅地開発によって多くの遺構が失われていますが、本丸部分の小高い丘は現存。海も間近に迫っており、かつての景観をしのぶことが出来ます。また、近年の発掘調査によって石垣が出土しており、上写真の大手門跡のように、整備も行われました。
(写真&解説:裏辺金好)