柳生陣屋跡〜奈良県奈良市柳生〜
○解説
柳生陣屋跡は、1642(寛永14)年に柳生宗矩が3年をかけて建てた柳生藩の陣屋跡。柳生宗矩は、柳生新陰流の祖である柳生宗厳(むねとし、石舟斎とも)の子で、徳川将軍家の剣道指南役となり、1万2500石の大名として柳生の地を治めました。そして柳生宗矩の三男で、第3代藩主の柳生宗冬の代に、柳生陣屋は増改築されますが、1747(延享4)年に火災により全焼し、仮建築のまま柳生氏代々の居館として明治維新を迎えました。
現在、かつての建物は全く残っていませんが、その中心部分をかつての遺構を生かした形で奈良市が公園として整備し、往時の雰囲気を今に伝えています。
また。近くには幕末の柳生藩家老・小山田主鈴の屋敷が現存し、旧柳生藩家老屋敷として公開。奈良県有形文化財に指定されています。小山田主鈴は、岩代国(福島県)の出身で、1806(文化3)年に25歳で江戸の柳生藩邸に仕えると、その才覚を認められて出世。1826(文政9)年に国家老となり、この柳生の地へ移り、藩財政の建て直しに尽力しました。
この屋敷は、1848(嘉永元)年に隠居の場として完成したもので、小山田主鈴は1856(安政3)年に亡くなるまで、この屋敷を使用。その後、子孫もこの屋敷を使い続け、1956(昭和31)年に土地の人へ売却されました。その後、1964(昭和39)年に作家の山岡荘八氏の所有となり、大河ドラマ「春の坂道」を執筆。山岡氏の死後、1980(昭和55)年に遺族より奈良市へ寄付され、一般公開が始まりました。こちらも合わせてご紹介しましょう。
(撮影&解説:裏辺金好)
○場所
○柳生陣屋跡の風景
○旧柳生藩家老屋敷の風景
石垣の上に屋敷跡が現存。
長屋門
主屋玄関
主屋内部
庭園
小山田家分家(非公開)
直ぐ近くに残る建物で、こちらも石垣の上に建てられています。