勝山城〜福井県勝山市〜
  Katsuyama Castle in Katsuyama City , Fukui Prefecture
 勝山城(越前国)は、織田信長の重臣である柴田勝家の一族、柴田勝安が築城したのが始まり。柴田勝家が羽柴秀吉に滅ぼされ、さらに関ヶ原の戦いを経て徳川家康の次男、結城秀康が福井を領有することになると、勝山城もその支配下に置かれますが、1615(元和元)年の一国一城令によって、城は破却されました。

 1624(寛永元)年になると、結城秀康の五男、松平直基が3万石で勝山に封じられ、勝山藩が成立。城跡は藩庁として整備されます。さらに結城秀康の六男、松平直良が治めますが、1644(正保元)年に直良が移封されると廃城となり、一時的に天領となりました。

 そして1691(元禄4)年、小笠原貞信が2万2千石で勝山の地に封じられ、以後明治維新まで小笠原氏8代が勝山を領有することに。築城を幕府に願い続けた結果、1709(寛永6)年、勝山藩2代藩主の小笠原信辰(貞信の孫)の時代になって許可が下り、本丸を中心に築城を開始。

 しかし、財政難によって工事は中断し、なんと着工から60年後である1770(明和7)年、5代藩主の小笠原信房の時代に概ね完成し、二の丸に藩主の御殿を移しました。

 ところが1822(文政5)年、本丸より出火。門、高塀、土蔵を残して焼失。このため、1826(文政9)年に再建されました。そして明治維新で廃城となり、城内の建物は姿を消しました。本丸跡地には現在、勝山市役所や勝山文化会館が建ち、周囲は宅地化され、遺構は残っていません。

 ただし、藩校の成器堂の講堂、演武場、表門、土蔵が移築現存しており、このうち講堂は勝山城跡近くの神明神社社務所、さらに演武場が勝山市荒土町布市で道場として使われており、両方とも勝山市の文化財に指定されています。また、市内には姫路城を模した勝山城博物館がありますが、これは地元出身の実業家が建てたもので、位置、形状ともに勝山城とは全く関係ありません。
(撮影・解説:裏辺金好)

○場所

○風景


勝山城の縄張り
今や見る影もありませんが、本丸から三の丸まで、しっかりと整備されていました。


旧・成器堂講堂(現・神明神社社務所) 【勝山市指定文化財】
1841(天保12年)築。1911(明治44)年にこの地へ移築されましたが、外観は藩校当時のままです。

勝山城博物館
勝山城跡からはかなり離れた場所に突如としてあられます。
前述のとおり、勝山城とは歴史的な繋がりはありません。