七尾城といえば能登の七尾城が有名ですが、こちらは島根県(石見国)にあった七尾城。築城年は定かではありませんが、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将である益田兼高が築城したのが始まりといわれ、長らく益田氏の居城として使われました。
戦国時代には益田藤兼が、陶晴賢と毛利元就の戦いに際して、陶側についたことから、毛利氏に対抗するために城を大改修。その後、益田藤兼は毛利元就の家臣となりました。
そして関が原の戦いで毛利氏の所領が防長2カ国(現在の山口県)に削減されると、当時の当主である益田元祥もこれに従い須佐(長門国)へ移住し、ついに七尾城は益田氏の手を離れ、そのまま廃城となりました。
現在は土塁や堀などの遺構のほか、近くの医光寺に大手門が総門として移築現存しています。また、2004(平成16)年には平時の居館である三宅御土居とともに「益田氏城館跡」として国の史跡となりました。
(撮影&解説:裏辺金好)
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