萩城および城下町の復元模型
今回は写真真ん中付近の武家屋敷エリア(通称「堀内地区」)の史跡も見ていきましょう。
なお、武家屋敷のほかにも近代建築がいくつかありますが、そちらは別ページで紹介します。
萩城復元模型(本丸周辺)
天守台
福原家書院
城内に移築保存されている萩藩永代家老・福原家の屋敷。天明年間(1871〜89年)の建築です。
福原家書院
残念ながら保存状態は悪く、畳も浮いたり沈んだり・・・の状態。(2013年10月現在)
万歳橋
藩校明倫館の孔子廟の池に架かっていたものを移築したもの。中国風デザインの石橋です。
万歳橋と志都岐山神社
神社は明治12年、山口にある豊栄、野田両神社の分社として有志が建てたもの。
天守台からの風景
天守台からの風景
花江茶亭
藩主毛利敬親の別邸にあった茶室を明治20年に移築したもの。
幕末の頃、毛利敬親は家臣とともに、ここで国事の密議を行っていました
花江茶亭
梨羽家茶室(煤払いの茶室)
寄組士である梨羽家の別邸茶室。
城内煤払いの際に、藩主が城を出てここで休憩したことから、この別名が付いています。
厚狭毛利家萩屋敷長屋 【国指定重要文化財】
ここからは三の丸(堀内地区)を見ていきます。
こちらは毛利家の一門・厚狭毛利家の屋敷。現在は1856(安政3)年に建てられた長屋のみ現存しています。
厚狭毛利家萩屋敷長屋 【国指定重要文化財】
厚狭毛利家萩屋敷長屋 【国指定重要文化財】
三の丸北の総門
柱間約6m、高さ7mの日本最大級の高麗門。2004(平成16)年に復元され、さらに2011(平成23)年度までに総門脇の土塁や船着場、土塀付き土橋も整備され、往時の威容を取り戻しました。
北の総門
旧益田家物見矢倉
永代家老益田家の長屋の一部。 北の総門近くにあり、物見を兼ねていたため物見矢倉と呼ばれました。
繁沢家長屋門
繁沢家は阿川毛利家の分家。
旧周布家長屋門
周布(すふ)家は萩藩永代家老・益田家の庶流。
旧福原家萩屋敷門
江戸中期の建築で、萩藩永代家老福原家の萩上屋敷の表門です。
中の総門跡
萩博物館
2004(平成16)年に開館したもので、上写真の隅矢倉をはじめとする旧大野毛利家屋敷を再現。
口羽家住宅表門 【国指定重要文化財】
永代家老に次ぐ家柄の萩藩寄組士口羽家の住宅。
表門は長州藩の江戸藩邸の門を拝領して萩に移築したものと伝わります。
口羽家住宅主屋 【国指定重要文化財】
18世紀末から19世紀初めの建築。
口羽家住宅主屋 【国指定重要文化財】
口羽家住宅主屋 【国指定重要文化財】
旧二宮家長屋門
旧明倫館跡
藩校「明倫館」の跡地。5代藩主・毛利吉元が1718(享保3)年に創建したもので、1849(嘉永2)年に移転するまで、この場所にありました。
旧祖式家長屋
旧梨羽家書院
19世紀初頭に建てられたもの。
旧児玉家長屋
萩藩寄組・児玉家の長屋