八代城は、元和の一国一城令でも熊本城と並存する形で存続を許された麦島城が、1619(元和5)年に地震で倒壊したことを受けて、熊本藩主の加藤忠広が同年9月に幕府の許可を得て、球磨川支流の前川を挟んで麦島城の北側の松江へ、新たな城として移転築城したもの。
麦島城と同様に、中世以来の貿易港で、かつては豊臣秀吉の直轄港であった徳淵津に面しており、城は海上交通の要所に設けられたものです。1622(元和8)年に竣工しました。
さて、1632(寛永9)年6月に加藤忠広が改易されたことを受けて、豊前小倉藩主だった細川忠利が熊本藩主となり、八代城は忠利の父・細川忠興(三斎)が入城します。さらに、1645(正保2)年からは細川家の筆頭家老である松井興長を八代城代とし、明治維新まで松井家が領有しました。
現在は本丸の石垣と堀が残るほか、松井家の菩提寺である春光寺に三の丸永御蔵御門が移築現存しています。このほか、大書院も長らく移築現存していましたが、惜しいことに1986(昭和61)年に火災で焼失しています。また、1688(元禄元)年に八代城主・松井直之が母崇芳院尼のために建てた松浜軒(しょうひんけん)
という御茶屋と庭園が、城の北側に現存しています。
(撮影:ひょん君/解説:裏辺金好)
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