石垣山城 〜神奈川県小田原市〜


○解説

 石垣山城は1590(天正18)年、豊臣秀吉が小田原の北條氏を包囲した際に、当時は笠懸山と呼ばれた場所に本陣として築城した城で、近江から穴太衆を招いて野面積みによる総石垣としているのが特徴です。

 小田原城から約3km、標高257mの場所に本丸を設け、同年4月から6月にかけ、約80日間かけて築城されましたが、築城している姿は樹木によって覆い隠され、城の全容が見えてきた段階で一夜のうちに周囲の樹木を伐採した結果、北條氏側には一夜にして城が誕生したように見えたことから、石垣山一夜城の別名もあります。  

 そして秀吉は100日余りの滞在の際に、淀君らの側室を大坂から呼び寄せ、千利休による茶会の開催や能役者、猿楽師などを招き、北條氏側に余裕を見せつけ、降伏させることに成功。江戸時代は小田原藩の管理下に置かれ、度重なる震災にも遭いますが、現在でも石垣が良く残っており、遺構を見ることが出来ます。ちなみに近年では隣接地に鎧塚俊彦氏による一夜城ヨロイヅカファームが人気を博し、多くの観光客を集めています。ここへ立ち寄ったついでの史跡散策もオススメですね。
(撮影・解説:裏辺金好)

○場所



○風景


縄張り図


南曲輪跡の石垣


南曲輪跡の石垣



本丸跡への道





二の丸(馬屋曲輪)



本丸跡石垣


南曲輪跡



西曲輪跡




本丸跡


天守台跡




本丸跡石垣

櫓台跡

石垣山城からの眺め


井戸曲輪
石垣で囲まれた空間で、野面積みの雰囲気を特に感じることが出来ます。

↑ PAGE TOP