春日山城〜新潟県上越市〜
○解説
春日山城の歴史は古く、今から600年前(南北朝時代)に築城されたと言われています。本格的な城郭として使われたのは戦国時代のことで、越後守護代・長尾為景(ためかげ)、その息子長尾晴景と、長尾景虎(上杉謙信)、そして、謙信の養子である上杉景勝の時代です。1598(慶長3)年に上杉景勝は豊臣秀吉の命で会津に移封され、代わって堀秀治が入城します。しかし1607(慶長12)年、前年に堀氏の家督を継いだ堀忠俊は直江津港近くに福島城を築城して移り、春日山城は廃城となりました。
その福島城も長くは使われず、高田城が築城されますが、いずれにせよ春日山城は使われずに荒廃。それでも、空堀や郭跡、大井戸などが残り、当時の縄張りを良く残しています。また、童話作家小川未明の父、小川澄晴が上杉謙信を祀るため1901(明治34)年に創建した春日山神社が城内にあります。
さらに、城の麓にある林泉寺は上杉謙信が7歳で入った学問の寺。ここで寺の説教よりも用兵学の方に興味を示しまくったというのは有名。この林泉寺は、謙信の祖父・長尾能景が1497(明応6)年に創建。茅ぶきの惣門は春日山城の搦手門を移築したものともいわれ、1925(大正14)年に造られた山門と共に見応えがあります。
(撮影・解説:裏辺金好)
○場所
○風景
春日山城模型 (上越市埋蔵文化財センターにて)
本丸周辺
今回御紹介するルートの順番
中腹までタクシーで行った後、後は全て徒歩で回ります。トドメで林泉寺から春日山駅が遠かった・・・。
スタート地点
春日山神社への入り口のほか、売店やトイレなどはここで。以後、トイレは無いので要注意。
上杉謙信銅像
春日山神社
春日山神社社殿
春日山神社に置かれている兵器
特に由来は書いていませんでした。後ろにある忠魂碑は、田中義一(元首相・陸軍大将)の筆によるもの。
お屋敷
この下にある「お屋敷」と呼ばれる大きな郭(60×110m)があり、城主の館跡であるという説明書きでした。
登城ルート
千貫門跡
春日山城の古絵図には必ず描かれていた門の跡。
空堀
道のように見えるため、ここから敵が先に進むと・・・なんと沢に突き落とされる構造になっている。
空堀
虎口
直江屋敷
長尾家(上杉家)の重臣である直江氏の屋敷跡で、三段の郭から構成。
直江屋敷
お花畑
城内の各お堂に供える花や薬草を育てたエリア。
毘沙門堂
護摩堂
諏訪堂跡
本丸跡
本丸跡より
直江津方向を見る。眼前には広大な日本海が広がります。標高は約180m。
井戸曲郭と大井戸
未だに水をたたえています。
天守台
写真左は本丸で、2つの郭はほぼ同じ高さにそびえ立っています。
景勝屋敷跡
上杉景勝の屋敷跡と伝えられています。
御成街道
城内の道路で、上杉謙信と親しかった関白の近衛前嗣(このえさきつぐ)が通ったことから、御成街道と呼ばれます。
二の丸屋敷跡
本丸直下の郭です。
二の丸屋敷跡
三の丸土塁
三の丸屋敷跡
上杉謙信の養子、上杉景虎の屋敷跡。
上杉景虎は同じく謙信の養子である上杉景勝と相続を争い(御館の乱)、敗北して非業の死を遂げました。
大手道
春日山城の山麓。写真奥に向かって春日山城への入城ルートが続きます。
現在は別ルートから、自動車で中腹まで登ってしまいますが・・・。
林泉寺惣門
前述のとおり春日山城の搦手門を移築したものと伝わります。
林泉寺山門
1925(大正14)年に造られた立派な門です。