富士山城 〜栃木県足利市〜


○解説

 天正年間(1573〜1592年)に、小田原の北条氏や甲斐武田氏に対抗するため、足利城を本拠とする長尾氏(足利長尾氏)の出城として、家臣の岡田長親・秀親親子が使用したと云われる城。3つの連続した峰で構成されており、北峰を浅間山城、中央の峰を富士山城、南峰を坊主山城と呼ぶこともあります。

 豊臣秀吉の小田原攻めの際には、時の当主である長尾顕長は後北条氏に従い、小田原に参陣したことから運命を共にして没落。富士山城も使用されなくなりました。

 現在の浅間山頂には足利富士浅間神社という小さな神社がありますが、これは1054(天喜2)年、藤原秀郷の子孫である足利成行が足利城築城の際に勧請したものと伝わるもの(※注:室町幕府の足利氏とは異なる一族です)。江戸時代中期より、渡良瀬川の氾濫に伴う飢饉や疫病から子供たちを守ろうと、神社のご朱印を子供達の額に押す初山ペタンコ祭は、足利市の重要文化財民族文化財に指定されています。

 さらに、富士山城の主郭と思われる部分にも小さな祠(石尊宮)がありますが、山林の中に埋もれている状態です。
(撮影:Mr.S/解説:裏辺金好)

○場所



○風景




浅間神社への参道









浅間神社
社殿は1935(昭和10)年築。


渡良瀬川を挟んで、足利織姫神社が見えます。


胎内洞穴


浅間大菩薩が出現された聖地とされ、文殊菩薩が祀られています。

引き続いて富士山城の主郭方向へ。

石尊宮
この辺りが主郭と思われます。




ここからは坊主山城の風景。



何とも把握しづらい遺構です。

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