土気城 〜千葉県千葉市緑区〜


○解説

 土気城は聖武天皇の治世下である神亀年間(724〜729年)、大野東人によって、東北地方の蝦夷に対する軍事的拠点(貴船城)として築城されたものと伝わります。

 1488(長享2)年には中野城主の酒井定隆が領有するところとなり、城を整備。1564(永禄7)年の第二次国府台合戦で小田原の北条氏と里見氏が激突すると、土気の酒井氏は里見氏に味方し北条方による侵攻を土気城で撃退。その後、小田原北条氏の軍門に下り、豊臣秀吉の小田原攻めでは酒井氏は小田原城に籠城しますが、北条氏が降伏。酒井氏は徳川家の旗本となり、土気城は廃城となりました。

 縄張りとしては本丸・二の丸・三の丸及び出丸に区分されており、二の丸及び出丸の一部が開発により元の形状を失っていますが、それ以外はよく残っています。上写真は本丸の様子。
(撮影:Mr.S/解説:裏辺金好)

○場所



○風景


概略図
二の丸の一部は2015年現在、高齢者賃貸住宅となっています。


貴船神社
三の丸の端に位置する神社です。


三の丸跡


土橋と堀跡

二の丸跡




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