高田城〜新潟県上越市〜
○解説
高田城は1614(慶長19)年、徳川家康5男である松平忠輝が春日山城近くの福島城にかわって、菩提ヶ原の地を高田と改名して築城したのが始まり。陣頭指揮を執ったのは、松平忠輝の舅である伊達政宗。この工事は、 関川・青田川・儀明川の流路を変えるという難しいものでしたが、有力外様大名を多数動員し、着工からわずか4ヶ月で完成していています。特色は、石垣を用いず土塁をめぐらし、天守閣が無いこと。事実上、本丸南西の三重櫓が高田城のシンボルでした。その後、松平忠輝は改易され、高田城は城主がめまぐるしく入れ替わり、酒井家次、松平光長、稲葉正通などが領有。1741(寛保元)年に榊原政永が入封すると、以後は明治維新まで榊原氏が治めました。
廃藩置県後、高田城の建物は取り壊され、代わって軍(第13師団)が置かれますが、戦後は高田公園として市民に親しまれています。そして1997(平成5)年に、上越市制20周年を記念して文書や古絵図、発掘調査をもとに三重櫓が復元されています。
(写真&解説:裏辺金好)
○場所
○風景
高田城復元図(松平光長時代)
二の丸土塁
三重櫓
本丸跡
現在は学校敷地となっています。
高田城の桜
日本三大夜桜として、毎年4月には高田城百万人観桜会が開催されます。
小林古径邸 【国登録有形文化財】
二の丸には地元の上越市出身の画家、小林古径が東京馬込に住んでいたときの家が移築復元されています。設計は吉田五十八です。
小林古径邸 【国登録有形文化財】
こちらは写真などの資料を基に復元された、小林古径のアトリエです。