伊丹城(有岡城)〜兵庫県伊丹市〜


○解説

 伊丹城は猪名川の西岸,伊丹段丘(だんきゅう)東縁部の一角に位置し、南北朝時代に摂津の国人である伊丹氏が築城したものです。
 特徴的なのは、城下町を城の中に取り込んだ「惣構」(そうがまえ)の構造で、1520(永正17)年にはその兆しが見え、一向宗との戦いの中で強化されていきました。
 1574(天正2)年に織田信長の武将である、荒木村重が伊丹城を攻略し領有すると、城を有岡城と改め、惣構を強化。主郭部、侍町・町屋の全体を堀と土塁で囲み、北、西、南にそれぞれ「岸の砦」「上ろう塚(じょうろうづか)砦」「鵯塚(ひよどりづか)砦」を設けました。
 1578(天正6)年秋に荒木村重は織田信長に反旗を翻し挙兵します。翻意を促そうと説得に来た羽柴秀吉の重臣、小寺孝隆(黒田官兵衛)を城内の土牢に監禁し、荒木村重は約1年間籠城しますが、織田軍の包囲攻撃を受け、側近の中川清秀と高山右近が信長方に寝返り、戦況は不利な状況に。
 村重は嫡子である荒木村次のいる尼崎城に脱出し、間もなく有岡城は陥落。荒木村重はその後、花隈城に籠りますが、池田恒興率いる軍勢に敗北し、中国地方の戦国大名である毛利氏に逃れました。
 有岡城は池田恒興、ついで嫡子の池田元助が領有しますが、1583(天正11)年に池田恒興が大垣城、池田元助が岐阜城に移封され、美濃国で13万石を領有。有岡城は羽柴秀吉の直轄となりますが、城は放置され、江戸時代になると伊丹は酒造りの町として発展しました。
 1975(昭和50)年から国鉄伊丹駅前の整備事業に伴い、主郭部の発掘調査が開始。石垣や堀跡などが発見され、「岸(きし)の砦」が置かれていた猪名野神社境内を含めて国の史跡に指定されています。
(写真&解説:裏辺金好)

○場所



○風景


模擬的に復元された主郭部の石垣


発掘された主郭部の石垣



主郭部の井戸跡と礎石建物跡


主郭部の堀跡

江戸時代、伊丹(伊丹郷町)は貴族である近衛家の領地となり、近衛家の指示の下で、町人が治めました。


和風の景観で整備されている伊丹駅前


発掘調査をもとに再現された江戸時代の大溝(水路)。酒蔵からの排水が主な用途で、有岡城の堀を産めた跡地に整備されたことも判明しています。


白雪ブルワリービレッジ長寿蔵ミュージアム
1550(天文19)年から続く、小西酒造の博物館。


旧・岡田家住宅・酒蔵  【国指定重要文化財】
1674(延宝2)年築=店舗。江戸時代初期の伊丹の酒造家、松屋与兵衛が建てたもので、明治33年に岡田家の所有となりました。


旧・石橋家住宅 【国指定重要文化財】
江戸時代後期に建てられた商家。石橋家は明治以降、紙と金物の小売業のかたわら酒造業を営みます。その後、日用品の雑貨商となりました。




猪名野神社
江戸時代、有岡城の北端を防御する「きしの砦」跡に建てられた神社。伊丹郷町の氏神。祭神は牛頭天王。

猪名野神社本殿
1686(貞享3)年築。

猪名野神社(有岡城きしの砦土塁)
神社の西側に今も残る、岸(きし)の砦跡の土塁です。

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