伊佐城/観音寺本堂〜茨城県筑西市〜


○解説

 筑西市(旧下館市)の伊佐城跡は、940(天慶3)年に平将門の乱の際、藤原秀郷(俵藤太)が将門追討のために築いた上館(元館)・中館・下館の三館のうちの中館を起源とするという伝承を持ちますが、正確な築城年代はわかっていません。
 南北朝時代、伊佐城を領有していた伊佐氏が奥州の伊達行朝を迎え、北畠親房らと共に南朝方として足利尊氏の重臣、高師冬(こうのもろふゆ)と交戦。奮戦しますが1343(興国4/康永2)年に敗北して伊佐城は落城しました。
 現在、城の跡地には中館観音寺が建ち、僅かですが土塁と思われる箇所が残っています。なお、観音寺の本尊は鎌倉時代に作られた延命観世音菩薩で、国指定重要文化財。また、本堂は江戸時代中期の建築で、方形造(ほうぎょうづくり)木造平屋瓦葺。筑西市指定文化財です。
(写真&解説:裏辺金好)

○場所



○風景


観音寺本堂 【筑西市指定文化財】


観音寺本堂 【筑西市指定文化財】


観音寺本堂 【筑西市指定文化財】


観音寺(伊佐城跡)


観音寺(伊佐城跡)


観音寺(伊佐城跡)


下館藩主 石川総管(ふさかね)の墓
常陸下館藩の第9代藩主である石川総管(1841〜1899年)の墓です。


伊達行朝公塔 【筑西市指定文化財】
供養塔と考えられています。

↑ PAGE TOP