佐野城〜栃木県佐野市〜


○解説

 JR・東武佐野駅の北側に遺構が残る佐野城。別名「姥が城」「春日岡城」とも云い、782(延暦元)年に藤原藤成が館を設けたのが始まり。944(天慶7)年には藤原秀郷が平将門降伏の誓願のため、ここに春日明神の社殿と寺を造営、朱雀天皇から春日岡山惣宗官寺(惣宗寺)の勅額を賜ったと云われています。いわゆる佐野厄除け大師の始まりです。
 さて、藤原秀郷を祖とする佐野氏は唐沢山城(佐野市富士町)を長らく本拠とし、関ヶ原の戦いで東軍に味方した佐野信吉は本領を安堵されたものの、1602(慶長7)年に徳川家康の命によって移転を命ぜられます。このため、惣宗寺を現在地へ移転させたうえで、跡地へ築城。南側から三の丸・二の丸・本丸・北出丸を直線的に配置した連郭式平山城跡でした。
 しかし、1614(慶長19)年に実兄である富田信高(伊予宇和島藩主)の改易に連座する形で改易。佐野城は破却され、その姿を消すことになりました。
 現在では宅地化等によって外堀などは無くなっていますが、三の丸・二の丸・本丸・北出丸と空堀は現存。市指定の名勝「城山公園」となっているほか、この頃に造られた碁盤の目状の整然とした城下町は、現在の町並みへ受け継がれています。
(撮影&解説:裏辺金好)

○場所



○風景


縄張りと現況

発掘調査により、礎石建物、石垣虎口、石畳などの遺構が確認されています。

三の丸
佐野駅の城山公園口と直結

二の丸

城山記念館

空堀

本丸

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