座喜味城〜沖縄県読谷村〜


○解説

 座喜味城は、琉球王国(中山)の按司で築城家として名高い護佐丸(ごさまる ?〜1458年)が、1416年(1422年の説もあり)に中山の尚巴志による北山城攻略に従った際、座喜味の北東約4kmにある山田グスクに代わる居城として築城したと云われます。
 標高120mの台地上を、石灰岩の切石積で取り囲んで築かれているのが特徴で、2つの郭からなる連郭式の形態です。また、発掘調査の結果、瓦が出土しない事から、建物は板葺きで建築されたと考えられています。
 1440年に護佐丸は中城城へ移りますが、出土品の中に15世紀〜16世紀の中国陶器が見られることから、その後もしばらくは使われたようです。
 第2次世界大戦中は日本軍 (独立高射砲第27大隊第3中隊) が一の郭に高射砲陣地を構築したことから激戦地となり大きな被害を受けたほか、戦後はアメリカ軍のレーダー施設が建設されます。1974(昭和49)年に返還され、1982(昭和57)年までに城壁の修復が完了。2000(平成22)年12月2日に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
 また、2017(平成29)年に続日本100名城(199番)に選ばれています。
(写真:リン)

○場所



○風景
















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