犬山城〜愛知県犬山市〜


○解説

 1469(文明元)年に、室町幕府管領斯波義郷(しば・よしさと)の家臣・織田信広が築城。その後、犬山の織田家は一族の織田信長によって倒され城は落城し、1595(文禄4)年信長の次男・信雄(のぶかつ)の家臣・石川光吉の支配下に置かれ城と城下町の大改修が行われました。現在私たちがみる犬山城の天守閣はこの頃の建築で、現在日本に残る12の天守閣の中では福井県の丸岡城と共に最古の部類です。

 江戸初期からは、尾張徳川家の家老が城主をつとめ、初代小笠原氏のころ城下町がととのえられます。さらに1617(元和3)年からはやはり尾張藩家老の成瀬氏3万5000石が入り、8代にわたって城主となりました。

 そして明治維新を迎え、1871(明治4)年の廃藩置県で廃城となり、愛知県が保管していましたが、1891(明治24年)年の濃尾震災により、天守閣は大きな被害を受けました。これを受けて1895(明治28)年、修復や保存などを条件に、旧犬山藩主成瀬正肥(成瀬家第九代)へ無償譲渡。多くの犬山町民の浄財をあてて修復されました。

 そのため犬山城は長らく、成瀬家が所有し、犬山市と管理委託契約が結ばれた上で、犬山市が管理を請け負っていました(犬山城の中には成瀬家の住宅も存在)。ある程度城郭の形状を残した城で、個人が所有するのはここだけでしたが、2004(平成16)年4月に成瀬家が主宰する財団法人「犬山城白帝文庫」に移管されています。
(写真&解説:裏辺金好)

○場所



○風景


犬山城遠景
木曽川と犬山城の組み合わせ。


米清旧宅
幕末から大正にかけての豪商の米清旧宅。母屋は明治22年築。蔵は大正7年の建築です。


犬山城下と城下町の復元模型



犬山城復元模型


犬山城下の古い町並み
城下町としての面影を良く残しています。



犬山城大手門跡
復元模型とともに。


犬山城三の丸 武術稽古場跡


矢来門跡


黒門跡


成瀬家ゆかりの建物


岩坂門跡


犬山城本丸


犬山城天守閣


ここから、犬山城天守閣の中に入っていきましょう。






上段の間
殿様が座るための場所。









天守閣最上層からの眺め


茶室「如庵」 【国宝】
織田信長の弟である織田有楽斎が建てた茶室。内部は二畳半台目で、床脇にウロコ板を入れ斜めの壁を作っているところから「筋違いの囲」と云われます。

伝・徳源寺(大和国)唐門

旧正伝院書院
元和4年に如庵(じょあん)に隣接して建てられた有楽斎の隠居所で、入母屋造の温和な外観が特徴。



元庵
織田有楽斎が大阪天満の屋敷に建てたと云われる「元庵」を古図に基づき復元したもの。




旧磯部家住宅
江戸時代から戦前まで呉服商、戦後はお茶の製造販売を行っていた商家です。主屋は幕末(慶応年間)に建てられたと云われ、緩やかなふくらみのある「起り屋根(むくりやね)」は犬山市内の町家で唯一現存。主屋2階は天井が低く、正面側のみ部屋が造られ、背面は屋根裏という、犬山では「バンコ二階」と呼ばれる造りになっています。

旧磯部家住宅 土蔵
1875(明治8)年築の土蔵。正面は黒漆喰塗りの海鼠(なまこ)壁で、北側は瓦を用いた海鼠壁なのが特徴です。

旧磯部家住宅 裏座敷
1870(明治3)年築で、六畳室、釣り床付の八畳室から成ります。


旧磯部家住宅 裏座敷
明治8年築。

旧磯部家住宅 物置
明治中期の建築です。


どんでん館
犬山祭で曳かれている高さ8mの車山(やま)が4輌展示されています。なお、「どんでん」とは、車山が城下町の辻で豪壮に方向転換する様のこと。

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