大坂城〜大阪府大阪市中央区〜


○解説

 大坂城(近代では大阪城)は元々、織田信長に抵抗した石山本願寺があった場所。豊臣秀吉の命で、1583(天正11年)より、実に15年の歳月を費やして完成した城です。もっともよく知られているように、大坂冬の陣・夏の陣において豊臣家の大坂城は徳川家によって徹底的に破却され、現在我々が見る城の配置は、豊臣大坂城の上に、江戸幕府が威信をかけて築城したもの。徳川家康の死後、1620(元和6)年から、約10年をかけて築城されました。

 さて、江戸時代の大坂城は、形式的には徳川将軍が城主ですが、3代将軍家光が訪れた後、幕末の激動の時代を迎えるにあたって14代家茂が入城するまで約230年もの間城主のいない城で、代わって「大坂城代」が置かれました。また、江戸幕府による天守閣は1665(寛文5)年に天守北側の鯱に落雷し、竣工後わずか39年目で焼失。これ以後、江戸時代を通じて再建されることはありませんでした。

 その後長らく、天守閣のない城でしたが、鳥羽・伏見の戦いの後、幕府軍は大坂城に敗走。混乱の中で火災が発生し、多くの建造物を失ってしまいます。そして明治維新を迎え、大坂城は陸軍用地に転用されました。

 それから昭和に入り、大坂城天守閣をシンボル的存在に復興したいという声に応えて、1928(昭和3)年、当時の市長、関一(せき・はじめ)が天守閣復興を提案し、可決されます。なんと、市民から現在の価値で600億円ほどの、膨大な寄付が集まり、1931(昭和6)年に鉄筋コンクリート造りで完成しました。

 ところが、軍用地だったことから太平洋戦争ではアメリカ軍の爆撃を受け、復興天守こそ被害を免れますが、大坂城は大坂夏の陣以来の、大きな被害を受けます。さらに、戦後は和歌山城二の丸御殿の一部を移築した紀州御殿が、アメリカ軍の失火により全焼(勿体無い!)

 こうして多くの遺構を失った大坂城ですが、現在でも幾つかの貴重な建造物が残っています。さらに、復興天守は今や「3代目天守閣」として、初代、2代天守閣よりも長く現存することに。初期鉄筋コンクリート建築としての評価が高まっており、1997年、国の登録有形文化財に指定されました。ちなみに、復興天守は豊臣時代の天守閣をベースにしながら、江戸時代の天守閣と折衷的なデザイン。仮に豊臣時代の天守閣であれば、さらにベースとなる色は白ではなく「黒」なのが、正当な姿だったりします。
(写真&解説:裏辺金好)

〇地図



○大坂城の風景


大坂城模型
 大阪城公園駅で展示されている大坂城の模型。あくまで現在の姿ですが、全体像が良く解ります。

青屋門
 太平洋戦争の空襲によって焼失したものですが、焼け残った古材を用いて1970(昭和35)年に復元されたもの。JR大阪環状線の大阪城公園駅から大阪城へ行く場合には、ここから入るのが通常です。

石垣
 というわけで、青屋門をくぐって進むと、このように素晴らしい石垣と体面。かつてはここに櫓群があったのかと思うと、当時の華麗さが偲ばれます。

極楽橋
 現在の橋は、1965(昭和40)年に復元されたもの。幕末の混乱時に焼失して以来、再建されていなかったものです。名称は大坂本願寺があったころから、使用されているようです。

豊臣秀頼 淀殿ら自刃の碑

乾櫓 【国指定重要文化財】
 1620(元和6)年築。徳川大坂城創建当時の貴重な遺構で、もちろん大坂城に残る最古の櫓。L字型のデザインで、1階と2階が同じ大きさなのが特徴です。

大阪府庁本館
 1926(大正15)年築。大阪府庁の三代目となる本館で、未だに現役。乾櫓に沿って、大手門方向に歩くと向かい側にあります。

旧大阪砲兵工廠化学分析所
 1919(大正8)年築。日本有数の兵器工場だった大坂砲兵工廠の貴重な遺構で、大坂城の北側にひっそりと残っています。現在は無人のようですが、軍時代の大坂城の遺構としても非常に貴重。

大手門全景
 大手門、多聞櫓、千貫櫓と並んだ大手口の全景。

大手門 [国重要文化財]
 1628(寛永5)年築。

千貫櫓(手前)、多門櫓(奥) [国指定重要文化財]  
千貫櫓は1620(元和6年)築。大手口の防御機能を高めるために、大手門より突き出た位置にあるのが特徴。

多門櫓 [国重要文化財]
 1848(嘉永元)年築。大手門をくぐってから見た姿。

桜門 [国重要文化財]
 1887(明治20)年築。陸軍が再建したもので、本丸入口への門。門の左右に巨石が用いられているのが特徴です。

桜門枡形の蛸石(たこいし)
 岡山藩主の池田忠雄が、築城にあたって備前の犬島から運んできたといわれるもの。なんと最大で高さ5.5m、横14m!(写真では左端が少し切れています) 大阪城はこのほかにも、巨石が数多く用いられています。

金蔵 【国指定重要文化財】
 1751(宝暦元)年、この場所から南に延びていた長屋状の建物を切断、改造して建てられたもの。幕府の金貨、銀貨を保管した建物です。


大坂城天守閣 [国登録有形文化財]
 1931(昭和6)年築。前述のように市民の寄附によって建てられた大阪市のシンボル。阪神大震災後に実施された平成の大改修によって、外観のリニューアル、耐震補強や西側にエレベーターの設置などが行われています。


旧第四師団司令部庁舎
 1931(昭和6)年築。ヨーロッパ城郭風のデザインの陸軍の建物で、目の前に建つ大阪城天守閣とともに市民の寄付で造られました。戦後は大阪府警庁舎、そして昭和35年から平成13年まで大阪市立博物館として使用されました。その後、長らく活用が模索されてきましたが、2017(平成29)年に複合施設「MIRAIZA OSAKA-JO(ミライザ大阪城)」としてオープンしました。

金明水井戸屋形 [国重要文化財]
 1626(寛永3)年築。小天守台にある、徳川大坂城創建時代の貴重な遺構1つですので、見落とさないように注意。

六番櫓 [国重要文化財]
 これも江戸時代の遺構。かつて、ここに整然と一番櫓(現存)、二番櫓、三番櫓・・・七番櫓と並んでいました。このほか、大坂城には1685(貞享2)年築の焔硝蔵などの遺構があります。

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