佐賀城は、龍造寺家が代々本拠としていた村中城を、実権を握り、主従の立場を逆転させた鍋島直茂が接収して1602(慶長7)年から拡張させもので、息子の鍋島勝茂が引き継いで、1611(慶長16)年に完成させました。5重の天守や、幅80mもの内堀の整備が行われ、壮大な規模を誇りました。しかしながら幾度も火災に見舞われ、特に1726(享保11)年には天守以下本丸建造物の大半を焼失しています。これ以後、天守は再建されませんでした。
さらに1874(明治7)年、江藤新平が引き起こした「佐賀の乱」により、惜しくも佐賀城の大部分が焼失。戦後になると城内に現存していた建築物は、本丸御殿の正門で1838(天保9)年に造られた鯱(しゃち)の門と続櫓(国指定重要文化財)のみでしたが、2004(平成16)年に佐賀城本丸歴史館として本丸御殿の一部が復元された際、佐賀市内で移築現存していた御座の間(天保期9年築)が再移築されています。
その他、城跡の大半は県庁や公園、住宅地となっています。
(撮影・解説:裏辺金好)
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▼アクセス
JR長崎本線佐賀駅よりバスまたは徒歩
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