熊本城〜熊本県熊本市中央区〜


○解説

 現在の熊本城は茶臼山と呼ばれた場所へ、加藤清正が慶長12(1607)年に完成させたものですが、それ以前の同地には鎌倉時代より館が造られ、15世紀後半には出田秀信が今の熊本城東南部に千葉城を、そして1496(明応5)年頃には鹿子木親員(かのこぎ ちかかず)が同南西部に隈本城(古城)を築城しています。

 加藤清正の後、徳川家光の時代に加藤家は改易され、小倉より細川忠利が移封。以後、幕末まで細川家の本拠として存続し、城郭は一部が改修された以外は加藤氏時代のままであった。

 1877(明治10)年の西南戦争では、西郷隆盛軍の攻撃の前に、天守閣が焼失するも実勢の戦闘では落城せず、加藤清正の縄張りの堅牢さを見せつけます。(なお天守閣焼失の原因は、司令長官の谷干城が命じ、参謀の児玉源太郎が火を付けた、という説が現在では有力。おそらく、戦闘で目標になるのを避けたかったのだと思われます) 

 この戦争で多くの建物を焼失しましたが、それでも宇土櫓他12棟が今も残り重要文化財に指定。さらに、天守閣も鉄筋コンクリート造りながら戦後に復元され、さらに現在は本丸・二の丸などで復元工事が進行し、本丸御殿をはじめ続々と建造物が復元されていきました。

 ところが、2016(平成28)年4月に発生した熊本地震によって、熊本城は石垣や建築物が数多く崩壊し、甚大な被害を受けました。今後は長期間にわたって復興に向けた取り組みが進められます。なお、2017年2月と2019年3月に撮影した被災後の様子は、右のメニューバーからご覧ください。
(写真・本文:裏辺金好 *特記を除く)

○場所



○風景


長塀

 坪井川に沿って約240m残る、非常に長い塀。昔からの現存してますが、 何度も修理を受けているうちに石落と狭間が無くなってしまい、未だに正確な位置は不明。

二重の石垣
 本丸南西墨の石垣で、手前側の石垣は「清正流」と呼ばれる扇形の曲線を描きます。一方、後ろは細川氏時代の構築と考えられています。

宇土櫓 【国指定重要文化財】
 これが天守といわれてもまったく違和感の無い外観三重、内部5階、地下一階の五階櫓。壮大な千鳥波風を付け、さらに最上階には回廊まで設けるという力の入れよう。ある意味で熊本城一番の見所。なお、宇土城からの移築という説がありましたが、現在は否定する意見が大勢を占めています。

宇土櫓 【国指定重要文化財】


南大手門
 西、南、北と3ヶ所ある本丸への大手門(正門)のうち、最大の大手門。平成14年に木造で復元。

未申櫓
 「ひつじさるやぐら」。西出丸の南西(=未申)を守る木造二重三階の隅櫓で、2003(平成15)年8月の復元。なお、左手に少し見えるのは元太鼓櫓。なお、ここを左手に進むと西大手櫓、さらに戌亥櫓です。

西出丸
 西出丸を守る建造群。平成15年に復元された箇所で、写真左手に見えるのは戌亥櫓。

戌亥櫓
 「いぬいやぐら」。西出丸の北西(=戌亥)を守る木造二重三階の隅櫓で、平成15年8月に復元。写真左手は宇土櫓。

西大手門
 西出丸の西正面を守る門で平成15年12月に復元。熊本城の中では最も格式が高い門です。ちなみに、加藤家に代わって肥後に入国した細川忠利は、加藤清正への敬意を表するため、この門の前で衣冠束帯のままで駕籠を降り、敷居を押しいただくような形で「謹んで肥後54万石を拝領仕ります」と深々と頭をたれた、と伝えられています。

飯田丸五階櫓
 熊本城内に5つあった三重櫓のうちの1つ。木造三重五階の隅櫓で、平成16年12月復元。

田子櫓・七間櫓・十四間櫓など 【国指定重要文化財】
 東竹の丸に現存する櫓群。屋根が少しずつずれた小型の櫓が5棟連なっています。

不開門 【国指定重要文化財】
 「あかずのもん」。本丸北東の門で、普段は開いていないためこのような名称に。かつては左右に櫓が続いていました。

平櫓 【国指定重要文化財】
 寛永年間(1624〜44年)に造られた櫓で、不開門から侵入してきた敵に備えます。

北十八間櫓・東十八間櫓 【国指定重要文化財】
 熊本城二の丸北東を守る2つの多門櫓。現存する熊本城多門櫓の中では最大の規模。石垣の高さ(約20m)も必見!

本丸御殿入り口
ここから本丸御殿に入ると・・・下写真のエリアに出ます。


闇り通路
本丸御殿は2つの石垣を跨いで建築されたため、このような地下通路を持ちます。



本丸御殿「昭君の間」
本丸御殿の中でも一番格式の高い部屋で、藩主の居間。
中国・前漢の時代に匈奴(きょうど)という異民族に嫁いだ王昭君の物語を描いています。


大広間
「鶴之間」(60畳/写真1枚目)から奥へ、写真2枚目手前から「梅之間」「櫻之間」「桐之間」「若松之間」と続きます。

大御台所
火をおこす部屋なので、小屋裏が煙出しのある吹抜けとなっています。

旧細川刑部邸 【熊本県指定有形文化財】
熊本城三の丸に移築されている武家屋敷。細川家の一門で、江戸時代は長岡姓を名乗った家臣の屋敷です。

旧細川刑部邸 【熊本県指定有形文化財】

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