岐阜城 ぎふ
所在地:岐阜県岐阜市
交通・最寄駅:JR東海道本線 岐阜駅・
名鉄本線 新岐阜駅よりバス

随所に見られる当時の石垣 麓にある織田信長居館跡

 今から800年ほど前(つまり鎌倉時代)に二階堂行政が築城したものがその起源。戦国時代になると美濃守護として当地を支配する土岐頼芸(よりしげ)に取り入り、信任を得た通称「マムシ」こと斎藤道三が、1539(天文8)年に「稲葉山城」として築城した。
 その後、斎藤道三は息子義龍に殺害され、義龍の子・龍興の代に織田信長が稲葉山城を占領。地名を「岐阜」とし、織田家の本拠とした。
 信長が安土城に移った跡も、嫡男である信忠が支配し重要な拠点として存続。しかし、親子とも本能寺の変で夢半ばにして非業の死を遂げ、しばらくした後に信忠の子、織田秀信が羽柴(豊臣)秀吉子飼いの武将として入城した。
 関ヶ原の戦いを前に秀信は西軍に付くが、前哨戦で東軍に攻められ落城。秀信は高野山で出家し、岐阜城は廃城となった。


(写真・本文:裏辺金好)