松山城〜愛媛県松山市〜 
  Matsuyama Castle

 松山城は関ヶ原の戦いの後、その功績によって伊予20万石で入封した加藤嘉明が、勝山の地に築城したもの。同時に地名を松山と改めて今に至ます。結局、彼自身は松山城完成前の1627(寛永4)年に移封され、二ノ丸などは次の蒲生家の時代に完成しました。天守閣は当初は五層の大天守といわれていますが、1639〜1642年、蒲生家の次に入封した松平定行によって三層に改められました。

 日本三大平山城の1つで、1864(安政元)年に再建された天守閣をはじめ、築城当時からの乾櫓、野原櫓、紫竹門[しちくもん]、隠門[かくれもん]、一ノ門などが残り、いずれも重要文化財。しかし、そのほかの建物の多くは空襲や放火で焼失し、戦後に再建されたもの。しかし、全て木造で再建されているのが特徴で、現存する遺構との調和が取れており、往時と変わらぬ姿を見せています。ちなみに2006(平成18)年に「日本100名城」、2007(平成19)年には市内の道後温泉とともに「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されています。

 さて、上写真の松山城の大天守は三重三階。さらに小天守、南隅櫓、北隅櫓を多門櫓や廊下で連結した連立式天守。大天守は1864(安政元)年の再建。しかし、小天守閣・南北隅櫓・多聞櫓は1933(昭和8)年に放火のため焼失し、1968(昭和43)年に再建されたものです。
(写真&解説:裏辺金好)
 ▼MAP
▼アクセス
JR松山駅より路面電車

▼関連サイト

松山市ホームページ〜松山城総合案内〜

本丸広場から天守閣へ

松山城大天守 【国重要文化財】

松山城小天守


連結式天守の美しさを感じることが出来る風景

一の門 【国重要文化財】
一つ上の写真から右へ曲がると一の門です。 1786(天明6)年築。

ニの門 【国重要文化財】
続いて薬医門形式の二の門。1854(安政元)年築。

三の門 【国重要文化財】
左側に少し見えるのが二の門で、さらに折れ曲がって進むと三の門。1854(安政元)年築。
実戦があった場合は、ここに来るまでに各方向から射撃を受けまくってます。

仕切門 【国重要文化財】
天守閣の北側に位置する仕り門は、1854(安政元)年築。

筋鉄(すじがね)門
名前の由来は門の柱に鉄板が貼ってあることから。放火によって昭和8年に焼失し、昭和43年に復元されました。

筋鉄(すじがね)門から天守閣へ
ここからようやく天守閣に向けて内部に入ることが出来ます。

二之丸史跡庭園
松山城の二之丸は、内部の建物は復元されていませんが、その間取りを利用した庭園になっています。

天守からの眺め
本丸広場、そして松山市南部を一望できます。

内門
そして天守の見学を終えて、内門を経由します。
こちらも放火によって昭和8年に焼失したもので、昭和43年に復元されました。

松山城〜その他の風景〜
戸無門 [国重要文化財]
 高麗門形式ですが、その名の通り戸が無い門。敵を誘い込むためだとか。
筒井門
 元は慶長年間(1596〜1615年)に伊予松前城から移築された櫓門で、本丸正面を固めています。1949(昭和24)年に放火によって焼失し、1971(昭和46)年に復元されました。
太鼓櫓
 二重の櫓で、1971(昭和46)年の復元。
紫竹門 [重要文化財]
 本丸天守曲輪の南側にある高麗門。外部に紫竹が植えられ、門の名前は、その存在が隠されていることに由来します。
紫竹門西土塀
 紫竹門と共に本丸を防御します。
登城口
 本丸へはロープウェイやリフトで行く手段のほかに、松山城周辺各地から歩いて登城することが出来ます。ここは、二之丸から本丸へ向かう登城口。
二之丸多門櫓
 山頂の本丸に続き、平成になってから山麓の二の丸も復元されました。ただし、内部の建物は復元されず、その間取りを利用して庭園となっています。
二之丸史跡庭園
 多門櫓以外にも、周囲の土塀や門が復元されています。なお、松山城は三の丸も残っており、公共施設等が利用している他、外堀も現存しており、その縄張りをはっきりと確認できます。
ロープウェー&リフト乗り場
 手っ取り早く本丸へ行くのであれば、路面電車(伊予鉄道)の大街道電停で降りて、こちらへ向かうのがベスト。乗り場も近年になって、このような立派なものが建築されました。
松山城遠景
 写真左上が松山城天守閣。正面の建物は愛媛県庁本館で、1929(昭和4年)築。