今帰仁城〜沖縄県国頭郡今帰仁村〜
○解説
沖縄県北部の城(グスク)。正確な築城年代、築城者は不明ですが、13世紀頃に造られた城で、当時の琉球本島における三大勢力(北山、中山、南山)の1つ、北山王のものと考えられています。別名は「北山城」、「山北今帰仁城」。その後、1429年に中山王の尚巴志が琉球を統一し、今帰仁城は琉球王国の北山監守と呼ばれる役職に就く者に管理されるようになりますが、1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上。さらに、1665年には廃城となり、以後は拝所として地元の信仰の対象となりました。
現在、石垣が残り首里城などと共に世界遺産に指定。10の郭から成る連格式の山城で、大きく蛇行する外郭の石垣など、沖縄らしい城の構造は必見です。
(上写真撮影:リン/解説:裏辺金好)
○地図
○場所
今帰仁城立体模型(撮影:リン)
外郭
高さは2m前後と比較的低い石垣が延長数百m蛇行して続き、発掘調査で屋敷跡が発見されていますが、その用途はよく分かっていません。(撮影:リン)
外郭(撮影:リン)
外郭(撮影:リン)
古宇利殿内(フイどぅんち)
今帰仁村唯一の離島である古宇利島のある北東の方角を向いた祠で、今帰仁村の人々が旧暦8月に遥拝します。(撮影:リン)
炉跡を伴う掘立建物跡
2007年〜2009年にかけての発掘調査で方形に掘られた穴(炉跡)と周囲に6本の柱跡が見つかったもの。同時に出土した中国製の焼き物の年代から、14世紀後半〜15世紀前半に使われたと考えられます。(撮影:リン)
大隅(ウーシミ)の城壁
最も高い石垣が築かれた堅牢な城郭です。大隅は戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所です。(撮影:リン)
平郎門
琉球国由来記に「北山王者、本門、平郎門ヲ守護ス」として登場する今帰仁城の本門で、1962(昭和37)年に修復されています。(写真1枚目撮影:リン、2枚目撮影:Zenigata)
平郎門
(撮影:リン)
大隅(ウーシミ)
戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所です。(撮影:リン)
カーザフ
カーは川や湧泉を、ザフは迫で谷間を意味し、独特な自然の地形です。(撮影:リン)
旧道
防衛機能上から幅は狭く急なのぼり道が続きます。(撮影:リン)
志慶真門郭(しげまじょうかく)
城主に仕えた身近な人々が住んだと考えられ、4つの建物跡があります。(撮影:Zenigata)
志慶真門郭(しげまじょうかく)(撮影:リン)
志慶真門跡 (撮影:Zenigata)
主郭
最も中心的な建物があった場所です。時期によって建物の位置等が変遷しています。(撮影:リン)
主郭
(撮影:リン)
主郭 (撮影:Zenigata)
主郭 (撮影:Zenigata)
火神の祠 (撮影:Zenigata)