津和野城〜島根県津和野町〜


○解説

 標高368mの高さにあり、観光の際はロープウェイと徒歩で上ることになる山城(自信のある方は山麓から徒歩どうぞ)。1295(永仁3)年、この地の豪族である吉見頼行が築城したのが始まり。吉見氏は、源頼朝の弟で、彼に討たれた源範頼の子孫です。そして戦国時代、吉見正頼は大内氏、さらに毛利家の家臣となります。そのため、関ヶ原の戦い後に毛利家が防長2ヶ国に削減されると、正頼の嫡男・吉見広頼は萩へ移りました。
 代わって津和野に入ったのは、宇喜多氏の一族ながら東軍についた坂崎直盛(成正)。彼は、現在の津和野城の大半を造らせ、さらに三重の天守閣も造営しました。現存する石垣の大半は彼の時代のものです。ところが彼は、大阪夏の陣で、家康の孫で豊臣秀頼に嫁いでいた千姫を救出するという大手柄を立てたが改易。嘘か誠か、この千姫救出に際し「千姫の命を救った者がいたら、彼女を嫁にやろう」と言う約束だったにもかかわらず、千姫が坂崎直盛を嫌い、彼女は本多忠利と再婚することに。怒った坂崎直盛は輿入れの行列を襲撃し、逮捕されるという・・・。
 次に城主となったのは亀井政矩で、山麓の居館部分を整備します。そしてこれ以後、亀井氏が明治維新まで藩主を務めました。なお、1686(貞享3)年に天守は落雷で焼失し再建されていません。また現在、山麓に馬場先櫓が残る他、藩家老だった多胡家の表門をはじめとする街並みが残っています。
(本文・撮影:裏辺金好)

○場所



○風景



津和野城石垣
 現在も山上には石垣が数多く残存。

殿町通りの町並み
 津和野町を代表する観光スポット。武家屋敷の表門などが多く残っています。

多胡家表門
 亀井氏時代の藩家老を務めた多胡家の表門。津和野は古い町並みが残っており、観光名所となっています。

大岡家表門 (現 津和野町庁舎)
 こちらも亀井氏時代の藩家老を務めた、大岡家の表門。津和野町役場として利用され続けてきましたが、平成の大合併により、本庁舎としての機能は旧日原町へ移動しています。

西周旧居



森鴎外旧宅

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