岡城遠景
現在では石垣しか残っていないが、実は御三階櫓を中心に、数多くの櫓などの建造物が建っていた。
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大手道のカマボコ石
まず登城者を迎える場所かつ岡城の見所の1つで、崖側に石の塀が設置されている。その上、上段は半円型の石となっている。
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断崖絶壁の地に、堅固な石垣と、天然と人工の要害の岡城は、鎌倉時代に緒方氏が居城を構えたことにはじまる。その後、豊後に勢力を拡大した大友氏の家臣、志賀氏が治めるようになり、戦国時代には島津氏と岡城をめぐって抗争が繰り広げられた。
そして、豊臣秀吉によって大友氏が改易されると、1594(文禄3)年に、播磨三木城より中川秀成が7万石で入城。近世城郭へと大整備を開始し、現在の姿が整えられた。
中川氏はそのまま江戸時代を乗り切り、明治維新を迎え13代270年という長い治世となった。しかし、岡城は1871(明治4)年に建物が全てが破却され、石垣だけとなってしまった。さらに、西南戦争では西郷隆盛軍に一時的に接収され、実戦で使われた。
なお、1900(明治33)年には作曲家の滝廉太郎が岡城で「荒城の月」を作曲し、日本を代表する歌曲の舞台となった。しかし、「荒城」というイメージが付きまとってしまったことから、私見であるが、かつての壮大な城郭への復元の道が断たれてしまったのではないだろうか。
(写真ひげ丸、本文:裏辺金好)
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