安土城〜滋賀県近江八幡市安土町〜
  Azuchi Castle in Omi Hachiman City, Shiga Prefecture
 安土城は1576(天正4)年、織田信長が丹羽長秀を総普請奉行として築城を開始したもので、1579(天正7)年に織田信長が移り住みました。不等辺七角形状に造られた天主、城内に建立された寺院、石垣の積極的な使用など構造的に極めて独特な形を持っていました。また、完成当初は琵琶湖に面しており、現在の姿とは雰囲気の違う水の城でした。

 その安土城は、本能寺の変における信長死亡に伴う混乱の中で、何者かが放火し天主が焼失。それでも大半の建物は残っていたようですが、1585(天正13)年に羽柴秀吉が八幡山城(近江八幡市)へ移築し、廃城となりました。現在は石垣と城内に残るハ見寺三重搭・仁王門が往時の面影を今に伝えています。
(撮影・解説:裏辺金好)

○場所

○風景


大手門前の枡形虎口

大手道
 発掘後整備されたもので、幅6m、直線で130mもあります。
かつてはこの両脇へ階段状に家臣の屋敷が立ち並び、写真左手が羽柴秀吉、右手が前田利家の屋敷でした。

伝羽柴秀吉屋敷跡

伝羽柴秀吉屋敷跡復元図


伝羽柴秀吉屋敷跡


大手道
かなり上まで続いていきます。


大手道
振り返ってみるとこの高さ。右手に見えるのはハ見寺。かつての徳川家康邸跡と伝わります。
後で紹介しますが、元々は城内の別の場所にあり、1854(嘉永7)年の火災後に移転しました。

石仏
城内にハ見寺を建立したかと思えば、石仏を石段に転用した織田信長。あちこちで見られます。

伝武井夕庵邸跡
知名度はあまり高くありませんが、武井夕庵は織田信長の右筆として内政・外交で活躍した人物。


織田信澄邸跡(左)・森蘭丸邸跡(右)
 織田信澄は信長の弟、織田信勝(信行)の息子。織田信勝は信長に謀反を起こし、1557(弘治3)年に暗殺されますが、息子の織田信澄は助命されて、柴田勝家の許で養育。有能であり、織田信長に非常に気に入られ、織田家中で厚遇されました。




仏足石(室町時代中期)


二の丸跡


織田信長本廟

天主台


本丸跡

天主への道

天主跡

天主跡からの眺め

ハ見寺跡
 大手道から山頂を目指し、途中で天主方向とは逆方向に行くとハ見寺跡があります。安土城と共に建立され、廃城になっても江戸時代に至るまでこの場所にありましたが、1854(嘉永7)年に大半が焼失。そこで、大手道脇の現在地(伝徳川家康屋敷跡)に移転しています。


ハ見寺三重塔 【国指定重要文化財】
元々は1454(享徳3)年の建築で、ハ見寺を安土城内に造るにあたって甲賀長寿寺から移築されました。
焼失を免れ、今も移築時と変わらぬ場所にあります。

ハ見寺仁王門 【国指定重要文化財】
1571(元亀2)年の建築。室町時代に造られた金剛力士像を中に収めています。
宗教を恐れぬ信長のイメージですが、まさか城内に大伽藍を築き上げるとは・・・。