松江城〜島根県松江市〜


○解説

 松江城は関ヶ原の戦い後に出雲・隠岐24万石で移封された堀尾義晴が築城したもの。鎌倉時代より出雲の中心であった月山富田城に代わり、陸水双方の交通の要所である松江に白羽の矢を立てたものです。
 その松江の中でも、適度な高さを持つ山であった亀田山に築城された松江城は、1611(慶長16)年に完成。そして、堀尾氏が3代で嗣子無く断絶した後、京極忠高、松平直政と城主が代わり、以後は松平氏の治世下で明治維新を迎えています。
 明治維新後、政府機関である広島鎮台は松江城の払下げを決定。破却の危機にさらされましたが、旧藩士の高木権八らが天守閣を落札し、今に残ることになりました。城下に残る武家屋敷群と共に、江戸時代の面影を伝える松江観光の中心的な存在です。2015(平成27)年には天守が国宝に指定されました。
(撮影&解説:裏辺金好)

○場所



○風景


江戸時代(嘉永年間)の松江城復元模型



天守閣と南櫓など
2000(平成12)年から2001(平成13)年にかけて復元された二の丸の建物と土塀。

中櫓(左)・太鼓櫓(右)


太鼓櫓
2001(平成13)年復元。二の丸の北東角に建てられた平屋建ての櫓で、入口に庇がついているのが特徴。時刻や号令を告げる太鼓が置かれていたと考えられています。



中櫓
2001(平成13)年復元。二の丸の東角に建てられた平屋建ての櫓で、江戸時代前期の文献や絵図には中櫓または東ノ矢倉、幕末には御具足蔵との表記が見られます。武具保管庫ではないかと推定されています。




南櫓
2000(平成12)年復元。二の丸の南側に建てられた2階建ての櫓。(以上、各櫓の外観はリン、内部は裏辺金好撮影)


興雲閣 【島根県指定文化財】
 1903(明治36)年築の、木造2階建ての疑洋風建築。明治天皇の山陰行幸を求める動きが広がる中、天皇陛下の宿泊滞在施設として企画されたもの。日露戦争勃発に伴い、明治天皇の行幸は実現しませんでしたが、1907(明治40)年に後の大正天皇である嘉仁親王が利用。戦後は松江市教育委員会庁舎として使われた後、1973(昭和48)年より2011(平成23)年まで松江郷土館として使用されました。
 1階、2階共に配された列柱廊を設けて回廊をめぐらしているのが特徴。ポーチ上の部屋は応接室です。



興雲閣 【島根県指定文化財】
2013(平成25)年度から2015(平成27)年度に保存修理を行う前は、白を基調とした外観でした。写真撮影当時は松江郷土館として使用されていた頃です。


松江神社拝殿
 興雲閣の隣にある神社で、拝殿は1661(寛文元)年築の権現造。松江神社は、1628(寛永5)年朝酌村西尾(現、松江市西尾町)に堀尾忠晴公を祀るために創建された東照宮と、1877(明治10)年に旧松江藩の人々により、川津村(現、松江市西川津町)楽山に松平直政公を御祭神として創建された楽山神社を、1899(明治32)年に合祀して、現在地に遷座したもの。松江神社の名前もこのときにつけられたものです。建物は、東照宮時代のものと思われます。

松江神社本殿
本殿は1628(寛永5)年築。


松江神社手水舎
1639(寛永16)年築。東照宮にあったものを、移築したものです。

一ノ門


松江城天守閣 【国宝】
 1607(慶長12)年から足掛け5年をかけて建造された、どっしりとした印象の天守閣。山陰地方で唯一江戸時代から現存する天守閣で、二重櫓の上に三階建ての櫓を載せた望楼型となっているのが特徴。また、天守閣から攻撃することを想定し、様々な場所から弓や鉄砲で攻撃可能。さらに、天守内部に井戸や便所を設置し、籠城戦を考慮しています。(撮影:裏辺金好)



松江城天守閣 地階
現存天守では唯一、天守内にある井戸が現存しています。かつて24mの深さがあり、現在は半分程度が埋められています。

松江城天守閣 地階
2012(平成24)年に発見された松江城の築城年の記された祈祷札(展示されているものはレプリカ)。「慶長拾六年」の記載があり、松江城天守の完成時期を示す貴重な一次資料です。


松江城天守閣 1階
地階〜1階の東西2本の通し柱は、包板を持たない松江城天守最大の柱です。


松江城天守閣 1階

松江城天守閣 1階
月山富田城から再利用されたと考えられている材木が展示されています。1950(昭和25)年まで松江城の1階床の梁を支えていました。



松江城天守閣 2階
二之丸にあった太鼓櫓で使用されていた太鼓が展示されています。



松江城天守閣 3階
階段からは松江城の特徴である通し柱が2階分貫いていることを確認できます。

松江城天守閣 3階
3階の南北張出部にある花頭窓。装飾用と考えられています。

松江城天守閣 4階

松江城天守閣 4階
西側大破風の内側を利用して藩主用の箱便所が設けられており、松江城天守閣の特徴の1つです。

松江城天守閣 4階
梁の上から立ち上がる柱が見られます。柱と梁を逆T字に組み合わせるなど短い柱を巧みに利用することで、建物の中心に荷重がかからないように工夫が施されています。

松江城天守閣 4階〜5階


松江城天守閣 4階〜5階


松江城天守閣 5階(最上階)

松江城天守閣 5階(最上階)

松江城天守閣 5階(最上階)

○武家屋敷


日本の道100選、松江市伝統美観保存地区に指定されている、松江城北側の塩見縄手。まずは、塩見縄手の名前の由来となったとされる塩見小兵衛も住んだ「武家屋敷」をご紹介。




主屋は1733(享保18)年の大火で焼失後再建されたものを基本に、何度か増改築を経たもの。表側に式台玄関(来客用玄関)があります。


当主が来客を迎える座敷。柾目(平行な木目)の長押、九曜紋の釘隠しなどが格式の高さを現しています。



当主居間。面皮(角に木の丸みを残した木材)の長押や鳥の形(ふくら雀)の釘隠しなど、遊び心のある雰囲気になっています。

質実剛健な築山式の庭園が広がります。


台所と味噌部屋。


長屋門。厩(うまや)と門番や中間(武家奉公人)の住居があります。

○小泉八雲旧居(撮影:裏辺金好)


江戸時代中後期に建てられた松江藩士の武家屋敷。明治24年6月から11月まで、怪談「耳なし芳一」や「雪女」の作者として有名な文学者、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と妻の小泉セツが過ごした家。小泉八雲は松江で過ごした1年3ヶ月弱のうち、約5か月をこの家で過ごしますが、八雲が住んでいた当時のままで保存されているのはここだけ。




書斎

セツの部屋
小泉セツは松江藩士の娘で、22歳の時、松江の英語教師として赴任したラフカディオ・ハーンと結婚しました。ひ孫の小泉凡は民俗学者として活躍中です。

○松江城雪景色 (撮影:デューク)





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