大洲城〜愛媛県大洲市〜


○解説

 大洲城は肱川(ひじかわ)を取り込んだ天然の外堀を持ち、さらに内堀を配した壮大な規模を持ちます。

 元々は伊予国守護である宇都宮豊房が、鎌倉時代末期の1331(元弘元)年に築いた地蔵ヶ岳城に始まると云われ、戦国時代の1568(永禄11)年に河野・毛利連合軍に敗れるまで伊予宇都宮氏の居城でした。さらに羽柴秀吉(豊臣秀吉)の四国平定後、小早川隆景や戸田勝隆の領有を経て、1595(文禄j4)年に藤堂高虎が板島城(のち宇和島城)7万石で入封した際、大洲城を近世城郭として整備。

 さらに1609(慶長14)年に淡路洲本城より脇坂安治が5万石で入封し、現在見られる天守は、この頃までに造られたと考えられています。また、この際に地名を大津から大洲へ変えたとも云われます。そして1617(元和3)年になると、脇坂氏に代わり加藤貞泰が伯耆米子から6万石で入封。以後、明治維新まで12代にわたって大洲を領有しました。

 1888(明治21)年に天守は取り壊され、内堀、外堀は大半が埋められます。そして長らく4棟の櫓など、僅かな建築物が残っているだけでしたが、2004(平成16)年に木造で天守閣が復元され、昔日の威容を取り戻しています。

 上写真は大洲城天守及び台所櫓。台所櫓は1859(安政6)年に再建されたもので、国指定重要文化財。大洲城の櫓の中では最大級で、内部に土間を配し煙出し用の格子窓が開けられているのが特徴です。
 (撮影:裏辺金好、ネオン)

○場所



○風景




高欄櫓+天守+台所櫓
2つの櫓は小天守的な役割を果たしています。


高欄櫓 【国指定重要文化財】
1861(文久元)年築。大洲城の中で唯一2階に縁と高欄のある櫓です。


御門番長屋
 天守へ向かう道の途中にある、門番が詰めていた小屋。絵図に従い外観復元が行われた。

下台所
 全国でも非常に貴重な、現存する下台所。本瓦葺の土蔵造です。

三の丸南隅櫓 【国指定重要文化財】
 1766(明和3)年築。手前のグラウンドはかつては外堀でした。

苧綿櫓 【国指定重要文化財】
 1833(天保4)年築。 肱川に面した二の丸東端の櫓です。

臥龍山荘 【国指定重要文化財】
 肱川随一の景勝地「臥龍淵」に臨む別荘で、元々は大洲藩3代藩主加藤泰恒が「蓬莢山(ほうらいさん)が龍の臥す姿に似ている」ことから”臥龍”と命名したといわれています。

 現在の臥龍山荘は明治の貿易商であった河内寅次郎が、大洲の棟梁・中野虎雄(とらお)に依頼して十余年かけて築いたもの。このうち臥龍院は1905(明治38)年築で、松皮菱の花頭窓など、桂離宮をはじめとする名建築に着想を得た細部意匠を持つ茅葺屋根が特徴です。また、不老庵は1901(明治34)年築で肱川を見下ろす崖地に懸造で張り出、特異な造形になる茅葺の小庵。文庫は1904(明治37)年築で、これら3棟は国指定重要文化財となっています。

おはなはん通り
1966(昭和41)年のNHK朝の連続テレビ小説「おはなはん」のロケが行われたことから名付けられた場所で、江戸時代の町並みが残されています。なお、商屋と武家屋敷の境界にあたり、北側の蔵並びは商屋のもので、南側は武家屋敷でした。



旧・大洲商業銀行本店(現・おおず赤煉瓦館) 【大洲市指定有形文化財】
1901(明治34)年築。蚕糸業が隆盛を極めた大洲の地で設立された大洲商業銀行(伊予銀行の前身の1つ)の本店で、イギリス積みの煉瓦建築。屋根に和瓦を葺いています。


ポコペン横丁
昭和30年頃の商店街を再現したエリア。「ぽこぺん、ぽこぺん、だぁれが突っついたか」と、「かくれんぼ」や「缶けり」の時に使った遊び言葉から名付けられました。様々な飲食店や竹馬やシャボン玉、ベイゴマなどで遊べる昔遊びの体験コーナーなどがあります。

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