膳所城〜滋賀県大津市〜



○解説

 膳所城は、1601(慶長6)年に徳川家康が藤堂高虎に築城させたもの。この結果、関が原の戦いで激戦が繰り広げられた大津城は廃城となり、明治維新まで膳所城が大津の中心として存続しました。
 城主となったのは初代が戸田一西で、その後しばらく菅沼氏や石川氏など入れ替わりますが、1651(慶安4)年に本多俊次が7万石で入場すると、明治維新まで本多氏の支配下に置かれ、大津城と同じく琵琶湖に面した城で、四層四階の天守閣を擁し、都に近い重要な城として整備されました。
 しかし、1870(明治3)年に破却されてしまい、さらに昭和40年代に埋立てが進められたため、石垣や堀などの遺構や琵琶湖に突き出た特徴的な姿も多くが失われてしまいました。現在は、写真上の復元された門と、やはり復元された堀がある程度で、説明文さえ設置されていません。それでも、市内各地や草津市内の寺や神社などに城門などが払い下げられ、数多く移築されて現存しているのが特徴で、旧東海道沿いの古い町並みと共に、それらをめぐる散歩はなかなか楽しいものです。

○場所



○風景


復興櫓?
 かつての二の丸跡に建つ城郭風の公共施設。二の丸跡は膳所浄水場として利用されており、またこの付近には石垣もわずかながら残存しています。

琵琶湖
 本丸の裏手には直ぐに琵琶湖が迫っています。

膳所神社表門(旧、膳所城大手門) 【国指定重要文化財】
薬医門形式で建てられた膳所城大手門の遺構。二の丸から本丸入り口にあった城門でした。

膳所神社北門
こちらも膳所城の遺構ですが、遺構と示す碑があるのみで、細かいことは解りません。なお、南門も膳所城の遺構。

和田神社表門(旧、藩校遵義堂表門)
 特に説明文等はありませんが、これも膳所城の遺構。

和田神社本殿 【国指定重要文化財】
膳所城とは関係がありませんが、和田神社本殿は鎌倉時代後期(1275〜1332年)築で、一間社流造、軒唐破風付、檜皮葺。

篠津神社表門(旧、膳所城北大手門) 【重要文化財】
高麗門形式の旧北大手門。

響忍寺長屋門(旧、藩家老 老村家屋敷門)
藩家老の老村松八郎右衛門邸の屋敷門は、旧東海道沿いに建つ響忍寺で活用されています。非常に重厚な造り。

旧東海道
大津は現在も旧東海道沿いに古い町並みが残っています。

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