2003年9月30日 猪苗代・会津若松の旅


この日は祖母と一緒に初の福島県。最大のお目当ては翌日から快速「あいづライナー」へ格下げとなる485系特急「あいづ」です。まずは大宮駅で100系タイプの200系新幹線を撮影するところからスタート。

郡山駅からは、装いを一新した455系による快速「ばんだい」に乗車。

2017年(平成29年)4月1日に郡山富田駅が開業する前までは、郡山駅を出ると約7.9kmも先にある喜久田駅が隣駅でした。ここで快速「ばんだい」は会津若松方面からの特急「あいづ」の通過を待つので、一旦下車してゲットさせていただきました。



猪苗代駅で下車し、455系快速「ばんだい」を改めて記録しておきます。ちなみにその後、「ばんだい」の愛称は2004(平成16)年10月15日を以て消滅し、その3年後に455系自体も姿を消しています。

さて、猪苗代駅を出ます。


バスに約20分乗車し、野口英世記念館へ。ここは、黄熱病の研究で殉職し、来年から新1000円札の顔となる野口英世博士の生家が今も保存されています。注目すべきは家よりも、家を覆う立派な近代的な蓋(ふた)というか屋根というか。


野口英世が火傷した囲炉裏も残されていました。

大正4年に撮影したという記念写真

野口英世の妻、メリー・ロレッタ・ダージス。


続いてすぐ東側にある会津民俗館へ。上写真の旧馬場家住宅(江戸中期/1661-1750築、国指定重要文化財)や・・・。


1773年に建てられた大沼郡金山町の名主の民家、旧佐々木家住宅(福島県指定重要文化財)など地域の歴史的建築物を移築・復元してます。



さらに西へ行き、国指定重要文化財の「天鏡閣」へ。


 ここは有栖川宮威仁親王殿下が1908(明治41)年に猪苗代湖畔に建てた別荘で、翌年に皇太子嘉仁親王殿下(大正天皇)が行啓された際、李白(りはく)の句「明湖落天鏡」に由来して天鏡閣と名付けられました。1952(昭和27)年に高松宮宣仁親王殿下より福島県に御下賜されました。
 さて、上写真は客間。ロココ調の華麗なシャンデリア、暖炉、カーテン吊器具は当初のもの。また、椅子は鹿鳴館で使われていたものと同じ形で複製したものです。

球戯室。脚の形からライオン脚と俗称される玉突台がありますが、これは原三渓が所有していたものを譲り受けました。丸テーブルは当初のものです。


敷地内には同じく国指定重要文化財の福島県迎賓館があります。こちらは天鏡閣の離れとして建設された日本間で、木造平屋建て589.7u(178坪)。大正天皇第三皇子・高松宮宣仁親王殿下が、御還暦前の有栖川宮威仁親王妃慰子殿下の御保養のために1922(大正11)年に建設されたものです。

続きましてタクシーで猪苗代湖を見ながら会津若松へ。

まずは会津若松駅を見て、若松城方面へ。

上菓子司会津葵。

会津葵 シルクロード文明館 西遊館。

そして、若松城を見ます。2011(平成23)年に天守の屋根が黒瓦から赤瓦へと葺き替えられているので、現在とは雰囲気が異なっています。

再び会津若松駅に戻ると、会津鉄道のAT-200形が停車していました。当時は第三セクター鉄道の車両でも前面が非貫通型の車両がいくつか存在していましたが、そのうちの1つです。2004(平成16)年に廃車されているので、実は485系よりも貴重な記録になってしまいました。

485系特急「あいづ」は会津若松駅の構内でお休み。色々と文化財を見ていたので仕方がないのですが、郡山駅からの折り返しは狙っておくべきだったか。

最後に磐越西線のキハ40形を撮影して〆としました。

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