2007年1月21日 新発田と村上を歩く


 先週に引き続き、職場の先輩である喜多見隊長と旅行へ。藤沢駅から東海道線の始発に乗り込み、いざ東京駅へ向かいます。

 そしてまだ暗い中、上越新幹線のE4系新幹線「MAXとき」に乗車。というわけで、いざ新潟へ向けて出陣です。

 国境の長いトンネルを抜けると・・・とはよく言ったもので、越後湯沢駅に着くとご覧のように銀世界。どう見ても例年に比べれば雪が少ないのは隠しようもありませんが、ともあれ雪じゃ、雪じゃ!

 そして新潟駅に到着。雪はもはや長岡付近で全く積もっていませんが、観光にはむしろ好都合。心置きなく、まずは新潟駅で電車の撮影タイム。まずは485系特急「いなほ」。

 続きまして、磐越西線へ直通するキハ110系快速会津若松行き。

 そして一旦改札を出て、駅舎を撮影。在来線の高架化工事に伴い、この駅舎もそう遠くない将来に取り壊されることが予想されますので、今のうちに記録、記録・・・。

 そしてホームに戻ると、なんとキハ52形国鉄色とキハ47形による快速「べにばな」(米坂線経由米沢行き)。

 こちら側は反対側のキハ47形。さて、この列車はまず、白新線を経由しますので次の目的地である新発田駅まで乗車することにしました。

 ・・・と思っていたら583系急行「きたぐに」が停車していたので、大喜びかつ大慌てで階段を駆け上り、駆け下り撮影。そして、また階段を駆け上り、駆け下り快速「べにばな」に乗車します。やれやれ、朝から忙しいことで・・・。

 さあ、そして今でも防御機能のために折れ曲がっている道路を進みながら、新発田城へ到着。もと中学校の先生だという観光ガイドさんが、新発田城の見所をはじめ、少年兵として参加した戦争経験だの、「全世界の殆どの国の人にこの城を案内した」思い出だの、色々語ってくださり、1時間30分もとどまることに。
 戦争で目の前で死んでいったり、広島に原爆が落とされたとき、その惨状を調査に生かされ、広島に行く道ですれ違うときに、瀕死の状態の人たちとすれ違い、水をせがまれたにもかかわらず、肝心の水を持っていなかったことに対する悔やみなど、今でも忘れられない思い出が沢山あるようです。「戦争はしてはいけない」との言葉は、さすがに感じるものがありました。まあ、それとサヨクが大好きな非武装宣言や、盲目的に憲法9条を守ることとは別問題ですが。

 さて、こちらは新たに復元された三階櫓。天守代用とのことですが、名称を櫓にするか天守にするかなんて、幕府に遠慮するしないなどの問題も絡んでいますので、実質的な昨日としてはまぎれも無い天守でしょう。ちなみに、屋根がT字なのが特徴で、これは城郭建築では唯一の事例。

 それから、新発田藩主溝口家下屋敷に付随した庭園である清水園を見学。

 こちらの資料室ではなんと、明治維新で太政官が出した、五榜の掲示が保存。こちらは1つめの掲示で、五倫を勧め、人を殺したり物を盗んだらいかんぞ、というお触れが書かれた高札。

 一方、こちらは向かい側に建つ、重要文化財の足軽長屋。1つ1つの間取りが狭い・・・。その辺のワンルームマンションよりもかなりせまく、ここに家族で住むとなると・・・。

 一方、こちらは新発田藩武家屋敷石黒家住宅。70石の武士ともなると、このぐらいの規模の住宅に住めました。

 続いて、今度は北上して村上市へ。村上も城下町で、未だに数多くの武家屋敷が残存。
 こちらは若林家住宅。先ほどの石黒家と異なり、300石というかなり上級でして、それだけ部屋数も多く、玄関も真ん中のお客さん用の式台玄関、その左に主人を中心とした男性用の内玄関、さらに女性と使用人用の勝手口の3つが存在。ちなみに、冬支度ということで、かような姿になっております。

 と言うわけで内部。左側が内玄関、右側が勝手口。ちなみに、観光客は勝手口から入ることになりまして、どうやら格下との扱いみたいですナ(笑)。

 その隣にある三の丸記念館は、明治40年に旧村上銀行本店として建てられたもの。内部は改装されていますが、昭和57年まで現役だったようで、木造の銀行建築として非常に貴重。

 そして村上城を見学しようと・・・う、う〜ん・・・これを登るんですか・・・。
 やれないことはないですが、さすがに翌日仕事もありますし、疲れた足には辛く断念。

 かつてはこんな感じだったそうで、石垣などの遺構は山頂付近に主として残っております。

 さて、村上市は商店街に古い町屋が残っているのが特徴で、数年前から有志一同によって急速に復元整備が進められています。ただ、土日の商店街は見事にシャッターが下りていまして、活気は全然なく寂しい状態でした。

 村上駅へ戻ってきました。写真の車両は、羽越本線(キハ40系)の酒田行き。酒田に行く途中に、電化の方式が直流から交流に変わるのですが、両対応の電車を作るのは高価なので、普通列車についてはディーゼルカーを使っています。

 そして485系による特急「いなほ」に乗車し、いざ新潟駅へ戻りましょう。

 新潟駅では引き続き少しだけ電車を撮影。こちらは485系快速「くびきの」(新井行き)。特急「みのり」時代は利用客が不振で、快速に格下げされたところ、今度は利用率が良いため、最近になって4両編成から6両編成に増強。さてさて、本日の乗車率は・・・と見ると超満員。帰省ラッシュか?と思うぐらいでした。

 こちらはE127系。どうやらJAの宣伝のようですが、JR四国の車両のごとく、アンパンマン列車です。

 さて、そんなわけで日帰り新潟強行旅行も終了。翌日が仕事じゃなければ・・・と思うのですが、止むを得ません。

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