2007年4月21日 東海道神奈川宿・川崎宿・品川宿を歩く


 今週は久しぶりに旧東海道の宿場町をめぐります。前回は藤沢、戸塚、保土ヶ谷だったので、今回は引き続き日本橋に向かって、神奈川、川崎、品川を歩きます。まずは、京浜急行神奈川駅で下車。早速見えてくるのが、神奈川が開港したときにアメリカ領事館が設置された、本覚寺です。

 駅前に設置されている看板。解説もわかりやすく、前知識があまりなくとも、宿場町歩きを楽しむことが出来ます。
 古絵図と現在の姿を比べるのも、なかなか楽しいですよ!

 さて、その解説板にもありましたが、京急神奈川駅は平成4年の改築の際に、和風テイストで建築されたのが特徴。

 その神奈川駅から、宮の前商店街へ。かつての宿場町・・・の賑わいは殆どなく、今や低層マンションや住宅が建ち並んでいます。賑わいはバイパスとしてすぐ隣に開通している第一京浜。まあ、そっちも基本的には住宅街ですが。

 しかし、旧東海道沿いには幕末に各国の領事館が置かれた寺などが多数現存。上写真は日蓮宗の浄瀧寺で、幕末にはイギリス領事館が設置されました。

 さて、本当は街道ウォーキングも楽しみたいところではありますが、京急仲木戸駅まで神奈川宿を歩き、川崎へ向かいます。

 川崎宿は現在の京急川崎駅の南に位置しています。現在、1本北側の道路が商店街、1本・・・だったか2本だったかは忘れましたが、南側に第1京浜があり、肝心の旧東海道は衰退してしまっています。ちなみに右手が「中の本陣」。左手(セブン・イレブン)が宿泊業務を担当する問屋場跡です。

 続いて品川宿へ。品川宿は、現在の京浜急行北品川駅から西へ向かって栄えていた場所で、こちらは現在も商店街が、そこそこ繁盛しています。活気にあふれているとはちょっと言いがたいですが、八百屋や魚屋など多くの店があり、地元の人に愛用されているようで、歩いていて楽しくなる街道です。また、品川宿は東西に非常に長く、その繁栄ぶりがしのばれます。ちなみに、左手のファミリーマートが、かつての相模屋という旅籠があったところ。
 土蔵のような「なまこ壁」から、土蔵相模として親しまれたもので、幕末の1862(文久2)年には、イギリス公使館建設に際して、長州藩の高杉晋作と久坂玄端がここで密談をこらし、イギリス公使館の焼き討ちを実行しました。

 さて、このほかにも品川神社など色々と撮影しましたが、それはまもなくスタートさせる予定の「東海道宿場町めぐり」コーナーで紹介するとしましょう。終わりに、偶然品川〜北品川間で撮影した京浜急行の青い600形をどうぞ。2010年の上海万博のPRをしています。

↑ PAGE TOP