2007年5月12日・13日 急行「みよし」と防府・呉の旅


 それは今週の木曜日の夜のことでした。
 所長「(広島県を走る)急行「みよし」が7月のダイヤ改正で廃止になるそうですね」
 デューク「この日曜日に早速撮影にいきます。一緒にど〜ですか?」
 所長「日帰りはきつい。・・・そうだ、たまには裏辺研究所発祥の地である、山口県に一人で前日から行くか」
 と、いうわけで所長、何の前ふりもなく、いきなり約3年ぶりの山口県上陸でございます。山口宇部空港で久々に水澄所員、八十八所員と再会し、車で新山口駅へ。久しぶりにSLやまぐち号を撮影します。土曜日ということもあり、車内は満員状態でした。

 福知山線から実質的に転属してきた山陽本線117系(左)と、113系(先頭)+115系(中間)の編成。う〜ん、やはり113系や115系の瀬戸内色は、(個人的に)懐かしくて良いですな。

 山陽本線の115系。先頭車両は、いよいよ残りわずかになった大型ライト装備車。

 それから東へ移動し、さらに高校時代の社会科のF教師とも合流して、防府市の防府天満宮へ。
 私と水澄所員は、「(女性と)良い御縁に恵まれますように」とお願いしたものの、私の場合は既に何度どこで御願いしても、殆ど御利益が無いし、今回の水澄所員に至っては、賽銭玉として投げた5円が、賽銭箱から跳ね返ってくる始末。おみくじを引けば、「大吉」なのに悪いことしか書いていないときた。

 さらに徒歩で周防国分寺へ。
 こちらの国分寺はなかなか見ごたえがあるもので、まずは楼門(県指定有形文化財)は毛利輝元が1596(文禄五)年に再建したもの。高さは約12mで、なかなか威圧感があります。

 周防国分寺金堂(国指定重要文化財)。
 1788(天明8)年に造営されたもので、これもまた実に壮大で立派な建築です。奈良の東大寺を縮小したような気も、一瞬しました。

 さらに国指定名勝である毛利氏庭園で小休止。ここは、旧長州藩主である毛利氏が造営したもの。邸宅は1916(大正5)年に建てられた物です。お客さんも少なかったので、縁側に座ってしばらく楽しいトーキング状態の所長一行。もしかすると水澄所員が東京に戻ってくるかも?という話になり、ちょっと楽しみです。

 防府天満宮近くの宮市本陣(兄部家)。このあたりは昔、山陽道の宿場町「宮市」という場所であり、上写真がかつての本陣を務めた家です。本陣当時の建物を、現在も改修しながら使用しており、必見です。

 我々は教師とは別れ、いざ周南市へ。かつての徳山市は、私が高校時代を過ごした場所なので、車であちこち回ると、非常に懐かしい。まあ、3年程度ではあまり変わってませんでしたが、見慣れない店なども出来ていたり、細かい変化はあります。で、今回は、かつて住んでいた頃には一度も行かなかった遠石(といし)八幡宮へ。 なんでも、宇佐八幡宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮と並ぶ四大八幡宮の1つであるらしいですが、友人は皆「知らない」上に、そもそも日本って、「三大」は好きだけど、四という数字は好まれないわけで。しかも、福岡市の箱崎八幡宮も三大(四大?)八幡宮に名乗りを上げている。さあ、正しいのはどれ?(笑)。
 という疑問を抱きつつ、さらに氷川副所長と合流。温泉に入り、そして氷川副所長の邸宅で、PS用ゲームである、99年の実況パワフルプロ野球で大盛り上がりしたとさ。「懐かしい〜!こんな選手いたなあ」「全然今とメンバーが違うじゃん」などなど。広島カープも、まだ江藤も金本もいましたね。


 さて、翌日。周南市北方の某所にある氷川雨水副所長の邸宅で、水澄所員、八十八(やそや)所員ともども一泊し、朝食までご馳走になった上で、いざ広島に向けて出発。途中、徳山動物園近くのコンビニで副所長らが買出しをしている間に、私は動物園前に保存されているD51 395号機を撮影。徳山に住んでいた頃には、大して気にもしていなかったんですがね〜。

 その隣の周南市文化会館(う〜む、個人的には徳山市文化会館なのですが・・・)は、かつての徳山藩の陣屋跡(いちおう、徳山城)。一応、この庭があるところが、かつての庭園だったらしいですが、どちらにせよ当時の遺構は残っていません。ちなみに、グーグルで「徳山城」で検索すると、うちのサイトがトップに来ることが、たった今判明。いかんいかん、リニューアルしておこう・・・。

 ちなみに、これも徳山にいた頃は気にしたことが無かったのですが、ここには江戸幕府の命令で大阪城を大修築したときに、運ぼうとして残った石垣の残石が保存されています。

 さて、久しぶりの徳山駅。いよいよ改築・・・という話も聞こえてきますが、さてさて。
 私が徳山に引っ越した頃から、空洞ビル化しており、かつての賑わいは今や全くありません。私が住んでいた頃、てこ入れを図るべく、当時の徳山市が細々と営業を続ける飲食店などを追い出したところまではよかったものの、実質的に活用策は見出せず、広大な待合室になっているのが現状です。

 商店街。私が住み始めた頃は、「徳山の商店街はほかと違ってまだ活気が残っているね」でしたが、あれよあれよと一気に空洞化。再開発の予定も全くありません。そして先日、中国新聞ネット版を読んでいたら、周南市郊外に、いよいよイオンによる巨大なショッピングセンターが誕生するとか。さすがイオン!中心市街地破壊に相変わらずまい進してくれますね。

 岩徳線と山陽本線。

 そして新幹線ホームへ。700系「ひかりレールスター」に乗車します。ちなみに上写真は博多駅行きのレールスター。

 さて、本来のたびの目的は広島で急行「みよし」を撮影することなので、ここで氷川副所長たちと一時別れます。本来はデューク所員と合流するはずだったのですが、私が旧友を優先させたため、合流はまだまだ当分あとに。
 さて、とりあえず広島駅前に出て定番の路面電車を少しだけ撮影。本当はこれに乗って、広島に住む父方の祖父の顔でも見に行ってあげるべきなのでしょうが・・・無視してしまいました。悪い孫です。東京都日野市に住む、母方の祖母にはほぼ毎週会っているんですけどね。

 そして芸備線に乗って、安芸矢口駅へ移動。駅北側の踏切で、まずはキハ40系を撮影。

 同じ場所で・・・と思ったのですが、出来るだけ早く氷川副所長らと合流したかったので、結局は安芸矢口駅の中で、7月改正で廃止になるキハ58系急行「みよし」を撮影し、ついでにこの列車に初乗車。結構乗り心地いいですよ!

 そして広島駅から呉線に乗車し、呉駅へ。広島地区は相変わらず103系天国状態。そういえば、左の103系と右の103系で前面ライトの形が違いますね。

 さらに衰退する徳山駅前と異なり、呉駅周辺は駅の北側も南側も、色々な商業施設や観光施設が建てられていき、実に羨ましい限りです。

 さて、氷川副所長との合流地点である大和ミュージアム。戦艦大和ゆかりの呉市ですが、この博物館誕生により、一気に観光都市へ変化してしまいました。それまでは、あまり呉で観光を考える人はいなかったのですが・・・。

 大和ミュージアムは既に訪問済みでしたが、今回私が呉に来たのは、この「てつのくじら館」。現役を引退したばかりの潜水艦「あきしお」を保存し、しかも公開してしまおうという、海上自衛隊の施設なのです。後ほど訪問しましょう。

 さて、なかなか氷川副所長らも大和ミュージアムは気に入られたようで、結局私も中に入ることになりました。10分の1とは言え、戦艦大和はなかなか圧巻!そして・・・上にある子供向けの科学体験施設で、我々「大きなお友達」がのめりこみ(?)バカ騒ぎしていたことは内緒です。いや、結構面白いんですよ。

 続いて、戦艦大和ブームに再び火をつけた感もある、映画「男たちの大和」のセットが近くで保存されているというので、行って見ました。・・・しかしこれは・・・。商業施設の空きスペースに、映画で使われた大和の砲塔を適当に並べただけ・・・。

 そして、「てつのくじら館」。潜水艦オンリーの施設かと思いきや、まずは海上自衛隊が戦後、日米が戦時中にまいた多くの魚雷などを撤去し続け(これを掃海と言います)、海の安全を守ってきたことをPRしているものを見て、いざ潜水艦の中に。狭いスペースを有効活用されており、ベッドは三段ベッド。
 潜水艦の中で、どういう生活をしているのか、そして操縦席はどうなっているかなどよく解ります。非常に魅力満点の施設なので、ぜひ訪問してみてください。

 4人とも大満足の呉旅行。鉄道ファンの所長的には、最後に乗車した呉線の車両が、岡山色の103系だったこと(笑)。 やっと撮影できました・・・。  
 そして、ここでようやくデューク所員と合流。私はともかく、ほかの所員は初対面なので「こちらが氷川副所長で・・・、こちらが水澄所員で・・・」と紹介しましたが、眠そうな氷川副所長に、もっと眠そうなデューク所員。会話になりませんでした。そして、後日改めて考えると、水澄所員とデューク所員は、一緒に日光に行っていたのでした。まあ、この辺は内部の話。

 さて、名残惜しいですが氷川副所長と別れ、デューク所員と共に広島空港へ向かいます。途中、瀬野駅ではロープウェイのような新交通システムである「スカイレール」の軌道を見ます。

 そして広島空港に到着し、羽田空港へ。いや〜、やはり中学、高校を過ごした場所で旧友と会うのは実に楽しく、またぜひ行きたいものです。
 ・・・というわけで、周南市まで行くかどうかは解りませんが、来月も山口県に行ってまいります(笑)。

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