2007年6月9日・10日 山口・下関・北九州・中津で撮影する


 6月は旅行三昧状態で、今度は山口→北九州→中津(大分県)→下関と、行ったり来たりのルートで観光してまいりました。ここのところ、鉄分が非常に濃くなっていますが、今回は本当に良く歩きました。古い街並みばかり見ていて、だんだん区別が・・・(笑)。というわけで、1日目の超ダイジェスト版。早速鉄分濃いですが、まずは117系@新山口駅。ちなみに1日目(山口市内)の観光への道連れとなったのは、八十八舞太郎所員。
 さあ、余を案内するのである。

 新山口駅から山口線に乗車し、ターンテーブルを横目に先へ進みます。

 昔山口県に住んでいた頃は「山口市って、観光都市の割には意外と見るところ無いな」と子供心に偉そうに思っていましたが、大きな勘違いでした。古い街並みから室町時代の建築、幕末の古い街並みに近代建築満載。まあ、最近ようやく整備が進んでいるという面もあるようですが、とにかくそこら中で感動しきりの所長です。
 上写真は山口県庁旧庁舎。

 それから有名な瑠璃光寺五重塔。

 洞春寺観音堂。

 戦国時代、大内氏の館があった龍福寺では、大内氏時代の姿への復元整備事業が進んでおり、土塁や門などがついに再現されています。

 随所に残る古い町並み。正直、これほど古建築が山口市に残されているとは思いませんでした。

 こちらは山口市が誇る温泉街「湯田温泉」。

 温泉よりも喜多見隊長殿! マンホールの蓋が凄いのであります。
 なんと、通りの1本ごとにデザインが違う上に、その通りの中でも複数種類が・・・。しかもフルカラー。いったいマンホールの蓋に、どれだけ予算をつぎ込んだんでしょう。恐るべし湯田温泉。

 まだまだ山口市については写真を撮影しましたが、とりあえず場所を移して北九州市の小倉駅へ。
 個性的なJR九州の普通列車と久しぶりに対面。

 折角なので鹿児島本線に乗車し、博多方面へ。途中見えてくるのがスペースワールド。中国・九州地方では有名ですが、そのほかの地域にお住まいの方々には「?」でしょうね。

 そして、もしかすると工事によって解体の恐れもあるJR折尾駅を撮影。

 さらに黒崎駅へ移動し、筑豊電鉄も撮影。

 787系特急「有明」@黒崎駅。これで、1日目は終わりにしました。

 さて6月10日(日)の旅行から。元々は下関だけを観光する予定だったのですが、早朝に小倉から運転される「特急にちりん」の存在を発見し、「そうだ、たまには日豊本線にも乗ってみよう」と急遽計画を変更。ホテルで朝ゆっくりするのをやめ、下関にも予定通り行くことにしながら、全然違う方向の、大分県中津市へ行くことにしました。

 中津は城下町としての街並みや寺が非常に良く残っています。上写真は自性寺。中津藩主である奥平氏歴代の菩提寺であり、南画の大家、池大雅が滞在したことで有名。彼の書画47点が保存、展示され、日本有数の池大雅コレクションです。

 そして中津城へ。現在、本丸跡には模擬五層天守と隅櫓が建てられています。

 中津は福沢諭吉が生まれ育った場所であり、その旧宅が現在でも保存、公開されています。

 このほかにもたっぷりと中津を観光し、昼前に北九州市の門司へ。JR門司港駅周辺のレトロ地区が有名ですが、JR門司駅周辺でも近代建築を生かした土地区画整理事業が開始されています。上写真は旧サッポロビール九州工場醸造棟。1912(大正元)年の建築。保存されたのは非常に嬉しい限りです。

 ちなみに中津駅から特急ソニックに乗車していたところ、途中駅で415系国鉄色による下関行きを発見。実は門司駅で時間調整をしていたのはこれを待つためもあるのでした。大学受験に伴うセンター試験のとき、小郡駅(現、新山口駅)で、折角見かけたにもかかわらず、カメラを持っていないゆえに撮影できなかったときから6年が経過。それまで九州に行っても、全く縁がありませんでしたが、ついに撮影できました。
 ちなみに一度縁が出来るとまたすぐ会えるもので、この後もこの編成に会いました。

 そしてついに下関に到着。ここからようやく、本来予定していたルートで旅行を再開です。
 上写真は下関駅前の様子。左手に巨大な洋風建築の結婚式場が出来たようで・・・。

 ちなみに放火されて全焼した下関駅は、現在このような姿になっています。
 ・・・なんとなく、この姿のまま20年、30年が経過しそうな・・・。JR西日本は駅の改築が大嫌いですからね。

 そして、下関駅からバスで7〜8分ほどの場所にある唐戸地区へ。上写真の秋田商会をはじめ、多数の近代建築が残っており、門司港レトロ地区とセットで見ておきたい場所です。

 それから徒歩で、かつて日清戦争講和条約を結んだ春帆楼の日清戦争講和記念館へ。会議室の風景が復元されて展示されています。ちなみに春帆楼は現在も高級料理店として存続。建物は、日清戦争当時のものではないですが。

 こちらは赤間神宮。

 対岸は門司港。かつては壇ノ浦と呼ばれた地域で、源氏と平氏の最終決戦がここで行われました。

 一方、ほぼ同じ場所で長州藩は幕末に外国の艦隊と戦闘。その雰囲気を再現しています。

 そして、かつて長門の国府があり、江戸時代は長府藩として毛利一族が治めた場所へ。ここの古い街並みもこれまた素晴らしい。建物も多く残っていますし、土塀でほぼ街並みが統一されており、好感が持てます。

 こちらは長府毛利邸。1904(明治36)年に竣工したもので、長府毛利家第14代当主の毛利元敏公が東京から長府に引越ししたときに、その住居として建てたものです。1919(大正8)年まで使用されました。

 そして駅前に戻り、かつての山陽ホテルを撮影。現在の建物は1923(大正12)年築で、辰野葛西建築事務所の設計で、開業時は高級なホテルだったのですが、今は建設会社の事務所として使われるのみ(管理はJR西日本)。下関から大陸へ渡航する際に皇族や政府高官が必ず利用した場所で、下関が大陸への玄関口だった頃の面影を残しています。
 これといった保存措置も講じられておらず、下関市や山口県自体は、これほど観光資源に近代建築を使いながらも、その保存には熱心でないため、この山陽ホテルも存続が不安視されています。

 そして帰りは小倉駅からバスで北九州空港へ。スターフライヤーで帰還しました。
 さて、今度は北海道です。休む暇がありません・・・・。

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