2007年9月1日・2日 松山・今治・高知で城と鉄道を堪能する


 先週、岡山に帰省したばかりではありますが、喜多見隊長と共に、愛媛県松山市、今治市(いまばりし)、高知県高知市など四国旅行に出かけてまいりました。まずは、すっかり私の旅行のお供となっている全日空の飛行機で、松山空港へ到着。リムジンバスに乗り、松山市街へ入ります。所要時間は15分ほどなので、非常に便利。

 まずは伊予鉄道高浜線に乗車し、三津駅で下車。
 昭和初期の建築といわれ、現在でも風格ある雰囲気が漂っています。・・・まあ、駅舎内部ではICカードリーダーによる改札機に、年配の女性駅員がノートパソコン使いこなして事務をこなしているギャップがあったりしますが(笑)。正面玄関上のアールヌーボー風の、曲線を用いたデザインなど、建築的に非常に見所のある駅舎なのですが、残念ながら老朽化に伴い取り壊されることが決まっています。今回の旅行、実はこれを撮るのが第一の目的だったりします。

 西衣山駅では、伊予鉄道オリジナルの610系を撮影。
 松山に住んでいた中学生の頃も撮影できず、去年5月の旅行でも撮影できずと、なかなか悔しい思いをしていましたが、今回、ついに撮影完了。最近までラッピング広告がされていたようですが、どうやら外されたようです。やはり、この方がデザイン的に美しい。

 そして大手町駅で下車。
 ここは日本で唯一、線路が平面交差する場所であり、伊予鉄道高浜線と、路面電車がこのように・・・。

 続いて路面電車に乗って、松山市駅前に行き、正岡子規生誕地跡を見たあとで市役所前へ移動。
 背後の松山城との組み合わせが、なんとも素晴らしい景観です。

 それから、萬翠荘(ばんすいそう)[県指定有形文化財]へ。
 1922(大正11)年築。愛媛県庁北東に位置する松山城山麓の建物で、設計者は愛媛県庁本庁舎と同じく木下七郎。旧松山藩主の子孫である久松定謨(ひさまつさだこと 1867〜1943年)の別邸として建築されたもので、定謨が陸軍駐在武官としてフランス生活が長く、造詣が非常に深かったことからフランス風に建築したとか。また、ハワイへ特別注文したという踊場壁面のステンドグラスなどは必見。現在は愛媛県美術館分館郷土美術館として使用。
 ちなみに江戸時代は家老の屋敷がありました。・・・と、日本の旅コーナーより。

 去年の旅行では中は見なかったのですが、今年は入ってみました。するとまあ、なんと豪華なことでしょうか。ただただ、感動するばかりです。

 それから、開館して間もない「坂の上の雲ミュージアム」へ。司馬遼太郎の同名の小説をテーマにした博物館で、日露戦争の勝利の立役者である秋山好古、秋山真之兄弟、それから友人の正岡子規にかかわる資料が展示されています。・・・が、決して展示内容が悪いわけではないのですけど、こんな豪華な大きさの博物館の割りに、展示物は少ないのが残念でした。これから増えていくのでしょうか。なお、建物の設計は安藤忠雄氏。

 こちらは、秋山好古・真之生家。2004年に復元されたものです。

 それから松山城へ。去年来たときは改修工事中で大天守の外観が見られませんでしたが、現在は修復も終わり、この通り。

 引き続いて、今度はJR予讃線の特急「しおかぜ」に乗車し、今治市へ。
 城めぐり第2弾ということで、今治城へ向かいます。松山城とは違った美しさが最高。残念ながら建築物は、いずれも復興もしくは復元されたもので、しかも天守に至っては僅かな期間しか存在しなかったものを、形も位置も推定で造っただけで、本来であれば、とんだニセモノなのですが・・・素晴らしい。

 なお、藤堂高虎公が今治城を完成させ町を開いてから400年を記念して、なんと鉄御門が復元されたばかりでした。


今治城を見た後、高知に向けて出発するのですが、マンホール調査を兼ねて途中下車。こちらは新居浜駅。観光名所としては別子銅山などがあり、松山に住んでいた頃には一度行った事もありますが、機会があればもう一度行ってみたい場所です。

 土讃線との乗換駅である多度津駅。香川県多度津町の駅で、「四国鉄道と少林寺拳法発祥の駅」と紹介されています。JR四国多度津工場はこちらが最寄り駅。

 また、駅横には58685号蒸気機関車が展示されています。

 さて、それでは特急「南風」に乗車し、いざ高知へむけて出発。到着後、路面電車で中心部へ出て、1泊しました。

 さて2日目。まずは高知駅からJR土讃線に乗車し、伊野駅へ向かいます。高知駅では数少なくなったキハ58系が停車していました。

 そしてJR伊野駅で下車し、今度は高知を走る路面電車である土佐電気鉄道に乗車。上写真は土佐電鉄伊野線終点の伊野電停。

 そして再び高知市中心部に向けて出発。様々な車両とすれ違いますが、ひときわ輝く(?)赤い車両は、岐阜で廃止になった名古屋鉄道の路面電車から移籍してきた590形。

 さらに高知城を見学。天守閣、本丸御殿の双方が江戸時代から現存する貴重な文化財です。天守閣からは高知市を一望でき、なかなか壮観!

 天守閣内に展示されていた高知城の復元模型。現在でも天守閣周辺はよく建物が残っていますが、全貌はこんな感じだったんですね。

 こちらは喜多見隊長イチオシとなった、初代土佐藩主、山内一豊の銅像。たしかに、なかなか迫力あるデザインです。

 続いて、高知城の北側にある寺田寅彦邸へ。
 寺田寅彦(1878〜1935年)は高知出身の物理学者にして、夏目漱石とも親交のあった随筆家、俳人であり、文献には残っていませんが「天災は忘れた頃にやってくる」は彼の言葉だといわれています。また、夏目漱石の『吾輩は猫である』の水島寒月は彼がモデルだとか。文学にも非常に造詣の深い、理系のトップクラスの学者で、凄い才能を持つ人物ですね。
 現在残る建物は、昭和51〜52年に復元されたものです。

 一方、こちらは旧山内家下屋敷長屋。1864(元治元)年、山内容堂が家臣7人の屋敷を召し上げて下屋敷を建てた時に、この長屋も建てられたと考えられています。国重要文化財に指定。

 さらに、土佐電鉄の桟橋車庫を眺めます。

 そして高知駅に戻り、JR土讃線に乗車。
 さらに、後免駅で土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり」線に乗車したところ・・・阪神タイガースラッピング車両でした。車内も阪神タイガース一色。これは、沿線の安芸市営球場で阪神タイガースのキャンプが毎年行われていることに由来するもので、インパクト抜群。

 わずか1駅の乗車ですが、後免町駅で下車。

 その愛称が、漫画家の「やなせたかし」氏による「ありがとう駅」。JR四国との接続駅である、後免駅は「ごめんごめん」とひたすら謝るのをPRする一方、こちらは「ありがとう」をPR。

 ちなみに、後免町駅では土佐電鉄ごめん線の終点と接続しています。土佐電鉄は、この後免町電停を「ごめん」と通称しており、伊野線の伊野駅を「いの」を平仮名で通常は表記することで、いいの←→ごめん と洒落ています。

 そしてタクシーで高知龍馬空港(日本唯一の、人名を冠した空港)へ行き、羽田へ戻ります。

 空の旅は、様々な雲の形を眺めるのは結構楽しいもの。気象好きの喜多見隊長は行きも帰りも大喜びで・・・。
 さて、ざっと紹介するだけでもこれだけになった松山・高知旅行。大満足でした。

↑ PAGE TOP