2007年10月6日・7日 名古屋・関ケ原・長浜と宇治を巡る


 休みに休む暇がありません(笑)。本日は大学時代の友人達と、名古屋、滋賀方面へ出かけてきました。まずは久しぶりに名古屋城を見学。名古屋駅から歩いていったところ、見事に道に迷ってしまい・・・。それにしても、名古屋は喫茶店が物凄い数がありますね。石を投げれば喫茶店にぶつかりそうな雰囲気でした。

 何度も紹介していますが、戦前に建てられた愛知県庁。

 昼食は神宮前駅近くで、「ひつまぶし」をいただきます。昼飯がアイスクリームということさえある、私としては珍しく旅行先で高級なものをいただきました。そのまま食べたり、薬味入れたり、お茶漬けにしたりと、色々食べ方を変えまして、いずれも非常に美味しい。

 熱田神宮へ。結婚式が行われておりました。・・・羨ましい(笑)。

 神宮前駅の踏み切りは有人式。JR,名鉄の車両が次々と行きかいます。上写真はJR東海の311系。

 こちらは名鉄6000系。

 続いてついに、あの関ヶ原の古戦場へ。石田三成の陣地跡へ行くと、馬防柵などが再現。丘の上からは、あの小早川秀秋が陣を張った松尾山などが見えます。

柵が復元されており、往時の雰囲気を盛り上げます。

近くには不破関跡があります。壬申の乱の翌年、天武天皇が設置した関所の跡で、越前の「愛発関」、伊勢の「鈴鹿関」と並んで日本三関のひとつと呼ばれています。関東・関西の名称は、この関所が境という説もあるとか。

 さらに車で滋賀県長浜市へ。羽柴秀吉(豊臣秀吉)ゆかりの長浜城の城下町、そして大通寺の門前町として発展してきた場所で、古い街並みを黒壁スクエアなどとして保存活用しているのが特徴。この日はイベントが開催されていたこともあり、物凄い数の人出でした。全国から町並みの保存と活用の成功例として注目されている理由がよく解ります。

 江戸時代にこの地域の中心だった大通寺。伏見城遺構の本堂や大広間などの、多数の歴史的建築物が残っています。山門 は1841年築で、なんと32年の歳月がかかったとか。

 羽柴秀吉の出世城として名高い、長浜城。琵琶湖に面しています。前回の大河ドラマの主人公、山内一豊も城主を務めたことがあり登場しましたね。なお、現在の天守閣はあくまで想像で造った模擬天守閣。

 偶然撮影した琵琶湖の夕暮れ。

 そして車で京都へ。一般道を走行していきますが、遠い・・・。ぜひ美しい琵琶湖大橋を通りたい、という運転手を務める友人の希望でわざわざ経由しましたが・・・う〜ん、夜間だと回りは真っ暗ですし、それほどの感動は・・・。

 そして京都へ到着。ここで夕食をとり、さらに大阪へ向かい、弊サイトの顧問である友人、桜乃氏の家で1泊しました。


 色々盛り上がって殆ど寝てませんが、翌日は二人でまずは新大阪駅へ向かいます。上写真は大阪環状線の103系(桜ノ宮駅)。首都圏では絶滅しましたが、大阪ではまだまだ現役ですね。

 そして新大阪駅で山口県から「呼びつけた」氷川副所長と、就職活動も終わり、ようやく少しは余裕の出来た馬藤所員を神奈川県から「招待」して、とりあえず道頓堀へ(ちなみに2人とも大阪は初訪問だとか)。道頓堀は相変わらず改修作業中で、良い写真は撮れませんでしたが、まあ、この雰囲気を2人に見せられてよかった。

 さらに大阪吉本笑店街へ。ここでは吉本を代表するお笑い芸人のデビューから現在までの様々なものが、面白おかしく、色々な形で展示されています。色々と笑ってしまう展示方法が多く、非常に楽しめました。このほか日本橋で、ジョーシンのガンダムショップ等色々と見学。

 さらに今度は京都方面へ。京阪電鉄に乗車し、途中で接続する「男山」ケーブルにも心惹かれつつ、時間の都合で断腸の思いで通過し、宇治駅で下車します。男山ですよ、男山。きっとマッチョな男性たちがケーブルカーを押していくに決まっています。そして山上では男・・・いや、やり遂げた漢(おとこ)たちの熱い抱擁のシーン!・・・と、くだらない妄想を車内で熱く語る所長でしたが、実際には石清水八幡宮を参詣するための、真面目なケーブルカーです。な、ならば山上では巫女さんたちが「お帰りなさいませ、御主人様」ですか!
 ・・・失礼しました。
 さて、この京阪電鉄の宇治駅。ホームと駅舎の間にある空間上をJR奈良線が走りぬく構造なのですが、JR宇治駅は別の場所にあるため接続していません。おかげでJR奈良線で京都へ行こうと思った場合、別の駅で乗換えをする必要があり不便です。京阪で京都に行くのも少し遠回りですし、帰りは少し苦労しました。

 宇治川の橋梁を渡るJR奈良線の221系。京阪の宇治駅は右手にあります。

 さて、裏辺研究所所員(スタッフ)4人全員とも初訪問である、宇治の平等院(世界遺産)へ。その中心的な建造物が、平等院で、10円玉でおなじみの建物で、10円玉、10円玉!と4人とも感動。平等院は1052(永承7)年、藤原頼通が父親である藤原道長の別荘「宇治院」を寺院にしたもの。
 写真の鳳凰堂(阿弥陀堂/国宝)は、1053(天喜元)年に造営されたもので、前面に池を配し、左右に回廊を設置した形が特徴。これは極楽浄土を現世に再現しようとした姿で、見るものを感動させます。創建時は厳島神社と同じく朱塗りが美しい建物であったようです。なお、鳳凰堂とは阿弥陀堂の屋根の上に2羽の対になった鳳凰像が載っていること、さらに建物の形自体も鳳凰のように羽を広げた鳥に見えることに由来し、江戸時代から呼ばれるようになったものです。

 鳳凰堂の背面。なお、鳳凰堂の内部には現存では唯一の、定朝の作である本尊の阿弥陀如来が鎮座し、そして諸菩薩(しょぼさつ)が配置されています。これにより、阿弥陀如来が菩薩たちを従えて来迎するという聖衆(しょうじゅ)来迎の世界が表現されています。ありがたやありがたや・・・。

 宇治川。右手に平等院があります。なお、この場所は平安時代末期の戦場となり、たとえば1180(治承4)、平清盛に反旗を翻し、以仁王を奉じて挙兵した源頼政たちが最期を迎えた場所であり、観音堂などが焼失。さらに1184(寿永3)年、源義経軍が源(木曽)義仲と戦ったとき、義経軍の名馬「するすみ」に乗った梶原景季と、やはり名馬「いけづき」に乗った佐々木高綱が、この宇治川で先陣争いをしながら渡河して、宇治川の戦いの火蓋がきって落とされています。
 さらに、1335(建武2)年から翌年にかけては、楠木正成と足利軍がここで戦い、やはり平等院などに被害が及んでいます。
 そのような中で、未だに創建時の鳳凰堂が現存していることは特筆に値することで、これからも美しい姿を後世に伝えていただきたいものだと思います。

 さて、我々も宇治川を渡ると、もう1つの世界遺産である宇治上神社へたどり着きます。古来より歴史ある神社ですが、平安時代に平等院が建立されると、その鎮守社となり人々の崇敬を受けてきました。上写真の拝殿は鎌倉時代の建築で、拝殿としては国内最古のもの。寝殿造様式で、人がお参りする拝殿であるだけに、当時の住宅的な意匠となっています。

 一方、こちらは本殿。平安時代後期の建築で、中に3つの社殿があり、それをこの覆屋が包み込むという形式です。鳳凰堂に比べると小さなものですが、こちらも度重なる戦乱を生き残り、現在に残る最古の神社建築として素晴らしいものです。

 さて、京阪からJR黄檗駅で乗り換え、奈良線で京都へ向かいます。

 京都で新しく出来たビックカメラを見に行き、地下街のポルタで食事し、京都駅を見学。私の場合は昨日も行きましたし(笑)、既に何度となく訪問している、もはや馴染みの駅ですが幾たびに「あ、こんなところも通れるんだ」など、色々と発見があるものです。オープンから10年を迎えましたが、未だにこの広々とした空間、一直線で11階まで行くエスカレーターなどには圧倒されますね。
 ちなみに京都のビックカメラ。京都の景観そのものや、景観に関する条例に配慮されてか、広告や看板を廃した、美しい白い建物だったのには意外でした。京都に限らずですが、広告やネオンサインだらけのビルというのは見苦しい(特に消費者金融関係!)。少しでも独自性をPRしたい企業にとっては死活問題なのはよく解りますが、街の景観との調和は良く考えていただきたいと思います。
 さて、ここで解散。私は馬藤所員と神奈川県へ戻りましたとさ。皆様、お疲れ様でした。

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